エイピナ。
ちょっと策士なピナ姫。
突き抜ける青空、風が吹くとさざ波のように揺れてどこまでも続くかのような草原。遥か遠くに見える稜線。微かに聞こえる羊ののんびりとした鳴き声。
シルミウムのどこか霞がかかったような空や、賑やかに響く人々の声も恋しく愛しくはあるが、こんな景色の中で日常を過ごすのもそれはそれで好きかもしれない——そんなことを考えながら、ウルピナは乗っていた馬の歩をゆるませた。
後ろから響く蹄音を振り返るようにして、彼女は大きくほころぶように笑顔を見せる。
「素晴らしいところね、エイディル」
「そう思ってもらえて光栄だ、ウルピナ」
手網を操ってウルピナの真横に止まったワロミル族の王エイディルの口は笑みの形をとっていたが、その漆黒の瞳には懸念の色が浮かんでいた。
「しかし、ウルピナの提案には驚いたぞ」
「そう? 私はいずれ貴方の妻になるのだから、自分の国を知ってもいいはずよ」
「それはもちろんそうだが」
「モンド達のことね? モンドは心配しすぎなのよ」
(そして気が利かないのよね……)
メグダッセでウルピナが遠乗りに出かけたいと言った時、見聞を深める為ならそれも良いだろうとモンドも賛同した。ところが彼女がエイディルと二人だけで行くと口にした時、当然のように姫の共をする気でいた彼は顔を真っ青にした。周りの目があったため、直接的な言い方こそしなかったが、なんとかして仕えるべき姫の気を変えさせようとモンドが躍起になっていたのは目に明らかだった。それをわかっていながらウルピナが全く取り合わなかったのも。
「ウルピナは愛されているのだな」
ふっと息を漏らすようにしてエイディルが笑った。今度は目元も下がっていたが、声に微かに混じった違和感にウルピナは首を傾げる。
「あら、エイディルこそ、国の人達に愛されているでしょう?」
「愛されてるとは違うな。敬意は感じるが、畏れられている方が正しい」
ウルピナが眉を寄せて黙ったのに気がついたのか、彼は付け足した。
「それも王としての在り方だ。不満は無い」
「エイディルらしいわね」
「そろそろ行こう。帰りが遅ければ、臣下達が心配するだろう」
彼が言うそれは『ウルピナの』臣下達を指している言葉だったが、ウルピナは未だ解せない顔のままだった。エイディルが乗っていた馬の腹を軽く蹴ったので、彼女も後に続くと、規則正しく軽快な音と共に再び心地よい風が頬に触れて髪を揺らす。
長閑な風景である。それは確かなのだがウルピナは頬に触れる空気がやわらかいばかりでは無いことに気づいていた。チリチリと肌を刺すような緊張感。それはすれ違うワロミルの民達から注がれる視線に潜む。エイディルがウルピナを后にと求めたのを知らないわけでもないだろう。それでも余所者を拒絶する、険のある目だ。
(大切な王様ですものね。モンドが心配するのも無理ないかしら)
気づかれないように内心ため息をつきつつ、ウルピナはエイディルに追いつくようにと馬を走らせた。
(まずはこの人からね)
ウルピナはエイディルを追い越すようにやや前に出ると、彼の顔をまっすぐに見つめてから花開くように笑った。
First Written : 2023/12/29