ココロノゆくえ

ギュス様とヨハンの日常のお話。

 


 

「ヨハン!」
 初めてその名を呼ばれた時からその心地良さは変わらない。名を得て、役割を得て、生きる意味を得た。
 声をかけられれば、頷いてその後をついて行く。アニマを周囲に溶け込ませることもあれば、そのまま随行することもある。もっともギュスターヴ様にとってはどちらでも変わらないのかもしれないが。
 俺以外の護衛をつけずに出かけることも増えた。最初は反対された——それもそうだ、俺でもどうかと思う——だが、それも回数が増えれば誰も何も言わなくなった。ギュスターヴ様が歯牙にもかけないので、周りが諦めた、ともいう。
 宮殿を出て、『少し散歩』のはずが、ギュスターヴ様は城壁の外へと出た。それも街の入口たる正面ではなく、おそらく公には知られていない裏口のようなところから。さすがにと歩みを止めたら、ギュスターヴ様は振り返って『用事があるんだ、ついてこい』と、ニヤリと笑った。『用事』に関しては、真実の程はかなり疑わしかったが、それでも護衛が仕事ならそれを全うするまでだった。
 そして俺達は古戦場にいた。道中にはモンスターも出たが、ギュスターヴ様自身も剣の腕は確かだ。露払いのために後ろに下がるようにお伝えしても、これくらいはやらせろ、と端から難なくなぎ倒していく。活き活きと鋼の剣をふるっていたので、危険が少ないうちは良いこととした。その背を守ることに注力する。
 ギュスターヴ様は、眺めのいい丘に立つ大樹を見つけると、その木陰で座り込んだ。そしてそのまま後ろ向きに倒れ込む。頭の後ろに手を組んで、目を閉じる。
 すぐ傍で見守るが、一向に動かない。まさか、ここで昼寝をするつもりではと嫌な予感がしたら、片方の瞼がそろっと開き、俺を見上げる。
「なんだ、ヨハン?」
「……いえ」
 短く答えると、ぷっとギュスターヴ様が吹き出す。
「お前はわかりやすいな」
 声をあげて笑いだした彼に戸惑うも、続く言葉がさらに俺を混乱させる。
 わかりやすい? 俺が?
『少しも表情が変わらない。気味が悪い』
『何を考えているかわかったもんじゃない』
『かかわり合いになりたくない』
 陰で囁かれていた言葉はそんなものばかりだった。客観的に見れば、それも仕方の無いことだと思えたので、その言葉を吐いたものたちに恨みはない。感情など、暗殺者には不要だ。表に出る程、心が揺さぶられることもほとんどない。寧ろそういうものは殺してきたのだ。
「何も、笑う、怒る、ばかりが感情を出すってことではないからなぁ」
 ギュスターヴ様がふうと息を吐き、また目を閉じる。
「しかしお前はもう少し思ったことを口にしてもいいと思うぞ?」
 口に出す、か。ただ唯唯諾諾と〈処理〉をする暗殺者としては必要性を感じることがあまりなかったが、護衛者とはそういうこともしていかなければならない場面があるのかもしれない。
「では僭越ながら……そろそろ帰りましょう、ギュスターヴ様」
「おうおう、その調子だぞ、ヨハン」
 ギュスターヴ様はうんうんと頷いたが、それでもその場から微塵《みじん》も動く気配がない。言葉に出したら聞く、という訳でもないのか。そういえばこの人はそういう人だったな。
 苦笑い、を顔に浮かべることが出来たのかはわからない。複数人のアニマが近づいていることを感じ、振り向く。ギュスターヴ様も気づいたのか、目を見開いた。
「ヤーデ伯の兵のようです」
「もう見つかったか。ケルヴィンの奴、早いな」
 仕方ない、とギュスターヴ様は起き上がり、外套を手で払う。
 ヨハン、と呼ぶ声に俺は返事をした。
「私達は、街の視察をしていた。いいな?」
「御意に」
「では、見つからないように頼む」
「私にお任せ下さい」
 俺は唇を横に引き結び、背筋を伸ばした。ギュスターヴ様の瞳がきらりと光った。

 


First Written : 2022/06/19