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シュヴァルツメドヘンの郊外の小さな村に俺はいた。モンスターに襲われているところをシルマール先生が救ったらしく、その恩から何も聞かれずに空いてる小屋を借り受けているのだそうだ。
そのまま住みついても構わない。そういう話になっているらしい。俺の正体についてはもちろん知られていない。
シルマール先生が留守にしている時に村の人間が食事を置いていくこともあるが、顔を合わせることはない。
まずは自力で歩くことを目標にしながら、俺はこれからどうするかを考えた。
ある夜、俺は喉が渇いて起きた。居間に入るとシルマール先生がテーブルの前に座ってどこかぼんやりと外を眺めていた。
「あぁ、ギュスターヴ様」
俺に気づいた先生は目の前の席をすすめ、水をグラスに注いだ。ありがたく一口いただくと、先生は逡巡した様子を見せたが、ためた息を少し吐くようにして告げた。
「オート侯がハン・ノヴァに向けて出兵をしたそうです」
『ギュスターヴ十三世の死』を受けてオート侯カンタールが動き出すのは時間の問題だった。挙兵したということはメルシュマンでの根回しを終えたのだろう。従順な姿勢を見せてはいたが、カンタールの野心は明らかだった。メルツィヒの襲撃は彼が仕組んだものだろうかと考えると同時に、そんなことはどうでも良いと思っている自分に気づく。
「ケルヴィンは応戦するでしょうか?」
「どうでしょう。心情的にはそうしたいでしょうが、兵力差がありすぎるかと」
先生の口調は淡々としていた。今すぐ決断を迫るつもりはない、ということだろう。
勝ち目がないとわかればケルヴィンも兵を引くだろうか。そのまま、ヤーデへ戻ってくれるならいい。身勝手な願いだということはわかっている。でもあいつにとっては命をかけるほどのものではないはずだ。
「シルマール先生。ハン・ノヴァは私が勝ち得た居場所でした。それが、持たざる者にとって希望になった」
「ええ、そうですね」
俺はじっと自分の右手を見つめた。左とは違ってまだ動く手。それでも前と同じようには決してならない。
「私には鋼しかないと思っていました。アニマを持たない私の唯一の力だと。でもあの剣を振るえなくなってから、そうではないと気がついたのです」
優しい緑の瞳が俺を見る。アニマを感じなくとも、先生のアニマがやわらかいと言われるのがわかる。
「俺は持っていた。ハン・ノヴァなんてなくても、ずっと居場所はあったんです。そのうちの大切な一つを失ってようやくわかった俺は、愚かでした」
フリン。ヨハン。
数えきれない顔。俺を見つめていた視線。
震えていた手が先生の温かい手に包み込まれる。
「強くなければ立っていられない。でも、俺は弱くなってしまった。戦うこともできない。誰かに守ってもらわなければすぐに命を落とすだろう。それならばいっそとも思うのに、どうしようもなく生きていたいと考えてしまっている。今までやってきたことに責任もとらないまま、逃げようとしている」
きっと恨まれるだろう。
それでも亡くなった者達が、俺に生きろと言っている。
「ギュスターヴ」
幼少の頃から知る恩師は微笑む。
「人の強さというのは自分や周りを変えていく力なのではないかと私は考えます。
あなたはだれが何を言おうと、とても強い。その証拠にあなたはまた変わろうとしている」
いつだって強さを求めていた。強くなければ何も手に入らない、何も守れないと思っていた。そう思い知らせてくる世界が憎かった。
でも、がむしゃらに前に進むことしか知らなかった俺は、周りを省みることもいつしか忘れていた。手に入れるのに必死で、その実、何もかも置き去りにしようとしていたのかもしれない。
胸が苦しかった。
この選択だってきっと愚かだ。でも、全てが元に戻ることは決してないのだとわかった。
それならば、手のひらに残るほんのひと握りだけでも——
「手放したくないんです。もう失いたくないんです」
「ええ、そうでしょうとも。それで良いのですよ」
先生はすぐそばに立つと俺の背中をずっと撫でてくれた。