のぞきみれば

エレンとサラのお話。
オープニングでケンカ別れした姉妹がお互いにプレゼントを用意して仲直りする、というお題をいただいて書いたものです。
少しだけトーマスとハリードも出てきます。
特にCP要素は無いです。


 

 

「お姉ちゃん、あれ見て」
 妹に袖を引かれてエレンは立ち止まった。サラが指差す先のパブの前には小さな露店が出ている。日用品以外のものを売る店が少ないシノン村には度々こういった行商人が訪れる。近隣の街から商品を運んでくる者もいれば、各地を旅する中で村に立ち寄り一時的に店を構える者もいる。
 今回は後者の方であったようだ。小さなテーブルの上には様々な織物や布地、衣服の類のものが所狭しと陳列されている。近くの街では見かけないような柄のものもあって、その色鮮やかさはただ眺めているだけでも楽しかった。
「これ可愛いね」
 サラがそのうちのひとつを手に取って織りあわさった糸を辿るように指を滑らせる。彼女が手にしたのはやや大きめの衣で、肌寒い日に肩にかけると暖かそうだ。明るい緑や橙色の糸が組み合わさっていて、ところどころアクセントに大きな紅い花を散らしたかのように見える模様になっており、サラが普段身につけるものとしてはやや派手めな印象だとエレンは感じた。
「どうしようかな」
 サラは悩んでいるようで、それを少しひろげてみてはまた戻したりしている。エレンはちらりと近くに置いてある値札を見て、ぎょっとする。珍しい糸や織り方なだけあって、普段目にする価格とは桁が違っていた。
「結構高いよ、お小遣い足りる?」
 値札を指差し、エレンはサラに囁いた。サラも値札を見てうーん、と眉を寄せる。頑張ったら出せない金額では無い。それでも躊躇してしまう値。
 エレンは並んだ商品を見渡し、比較的手頃な価格のハンカチに目を止める。こちらもミュルスでは見かけない刺繍がほどこされており、小ぶりなモチーフがサラの雰囲気に合っている。
「ねぇ、こっちのハンカチにしたら? これも可愛いよ」
 姉に促されてサラはそのハンカチを手に取ってみる。縁を彩る薄橙色と黄緑が蔦を描いており、端にリスの刺繍が入っている。
「うん、可愛い。そうね、これにしようかな」
 その時のサラも、嬉しそうにハンカチを手にしていたはずなのだ。

 
 
「あたしだってね、ちょっとかっとなっただけなんだから!」
 故郷ならば大きく響く声は、この酒場の喧騒の中では隣にいる男にしか聞こえなかっただろう。
「今まで言い返してきたことなかったのに……ってねぇ、聞いてる?!」
「何度も聞いた」
 酒が入ってくだをまいているエレンの横でハリードはやれやれと片手をあげてバーテンダーに水を頼んだ。
「別にねぇ、支配してるとか、そんなつもりなかったの。あたしはただあの子が心配だっただけ」
「はいはい、そうだな」
 水を彼女に押し付けながら、ハリードは手の中のグラスを転がして一口飲む。今にも潰れそうな旅仲間を宿の部屋まで送り届ける必要があるのでペースはゆっくりめだ。エレンは普段飲みぐせが悪いという程では無いのだが、今日の酒は彼女には少々強すぎたようだ。
 ロアーヌでの事変が一段落し、パブで独りポツンと取り残されているエレンにハリードは声をかけた。ハリードがプリンセスガードにと推したユリアンだけでなく、シノン村からモニカに付き添った残りの仲間——つまりはトーマスとエレンの妹のサラも、今までの開拓村での生活に戻らないことを選択したそうだ。
 妹と喧嘩別れしたエレンをランスまで旅に連れ出し、エレン自身もシノンの外の暮らしに触れ世界を観ることで気も晴れたかと思えば、ふとした瞬間に彼女の口から零れるのは妹のことばかりだ。
「そんなに気になるなら会いにいけばいいじゃないか」
「どんな顔して会いにいけばいいのよぉ」
 語尾が泣きそうに萎んでいくエレンに水を飲むように促して、ハリードはやれやれとまた肩を竦めた。
 
 
 ——ピドナに行くぞ。
 有無を言わさぬ態度でハリードと共に船に乗せられたエレンはずっとそわそわしていた。本人は空元気で隠しているつもりなのがまたタチが悪い。
「いらっしゃい」
「トム……」
 トーマスの親戚の家を訪ねれば、扉を開いて出迎えたのはトーマスだった。しばらく見なかった懐かしい顔を前に、エレンは込み上げてくるものを感じて口を開きかけたが、兄とも慕う彼にそっと手で制される。
「サラならその角の部屋にいるから行っておいで」
 いつもの元気はどこへやら、奥へと誘うトーマスと、次いで隣に立つハリードにエレンは助けを求めるように見た。トーマスはただ優しく微笑むだけで、ハリードも後についてくる気が無いことを察し、エレンは腹を括って屋敷の中へと足を踏み入れる。
 数歩進んでちらりと振り返ると、ハリードはトーマスと既に会話の最中であり、エレンの方を見向きもしない。
 妹と久しぶりに会う。あの喧嘩をした後でどうやって……幾度と船の中で悩み抜いて決めたはずなのに、いざ扉を目の前にすると立ちすくんでしまう。自分はいつからこんなに臆病になってしまったのだろう、とエレンは自問する。彼女が強くあらねばとずっと思っていたのはサラが近くにいたからであり、もしかすると本当のところはエレンの方がサラに頼りきっていたのかもしれない。
 深呼吸をして、覚悟を決める。扉に手をかければギィーっと思った以上に大きな音がしてびくりとする。
「……? お姉ちゃん?!」
 音で振り向いたサラがエレンの姿を見て目を見開いた。トーマスには事前に訪問のことを伝えていたが、サラには敢えて知らせていなかったようだ。心底驚いた顔をして姉を凝視している。
「サラ……その、久しぶり……?」
 第一声に迷った声は、エレン自身でも笑ってしまうくらい心細く聞こえた。サラの顔を一目見て、あれだけ考えた文言も綺麗に頭から消えてしまう。妹はこんなに大人びていただろうか。しばらく見ないうちに顔つきがしっかりとしてきた気がする。
「お姉ちゃん、来てくれたんだね。びっくりした」
 エレンの少し後ろをついてくる引っ込み思案な少女は、いつの間にかはっきりと発声して姉を正面から見つめている。あるいは、もっと以前からそうだったのかもしれない。エレンが自分の背に庇っていたから気が付かなかっただけで——
 
『ごめんなさい』
 
 二人の声が同時に重なり、姉妹は弾かれたようにお互いの顔を見つめた。ふっと先に零れたのはどちらの吐息だったか。途端に二人は声をあげて笑う。
「サラ、ごめんね。あたしがもっとちゃんとあんたの話を聞けばよかった」
 ひとしきり笑った後、エレンは改めて妹に頭を下げた。
「ううん、私も言い方が良くなかった。お姉ちゃんにもちゃんとわかってもらえるように話せばよかった」
 サラも首をゆるゆると横にふる。エレンはしみじみと妹を上から下まで眺め、感慨深く息を吐いた。
「いつの間にか、大きくなってたんだね」
「まだまだよ。ピドナに来て、自分が知らないことばっかりだってよくわかったの」
 一瞬恥じ入るように俯いたサラは、次の瞬間には顔をあげて姉に向かって微笑む。
「でもね、お姉ちゃん。私、知りたいの。お姉ちゃんから見たらまだ頼りないかもしれないけど、それでも自分の目で見て、自分の足で歩きたい」
「うん、わかってる。あたしも思い知った。外の世界は知らないことばかりだって。あんたのおかげで、それがわかった」
 ピドナまでの道中、エレンは妹に伝えるべき言葉を他にも沢山思い浮かべていた。謝罪や後悔の言葉だけでなく、自分がサラをどれだけ大事に思っているのか、とか。
 旅先でもそれは同じだった。見た景色や出会った人々、学んだ様々なことをエレンはサラと共有したいという思いに駆られては、傍らの不在を改めて感じて気落ちした。
 伝えきれない言葉は手紙という形で渡そうかとも考えた。でも筆をとる度に、どうにも柄じゃないと何度も断念していた。
「サラ。これあげる」
 かわりにエレンはサラにひとつの包みを手渡す。ありがとう、と妹は不思議そうに受け取り、両手の中にすっぽりおさまるそれを丁寧に紐解く。
 包みの中にあったのは、ひとつのリボンだった。明るい緑のラインの上にところどころ大きな紅い花の刺繍が咲き誇るように散りばめられている。
「ランスで見つけて。サラに似合うかなと思ったんだけど……あの時シノンで見たものとは全然違うし、今はそういうの好きじゃなかったらごめん」
 早口になりながら照れくさそうにそっぽを向く姉を見て、妹は大きく首を横にふった。
「ううん。とても可愛い。ありがとう!」
 サラは嬉しそうに笑うと早速そのリボンを使って髪を結びだした。
「どうかな?」
 くるりと回ってみせるサラに微笑ましくなりつつ、エレンは彼女の肩に手を置いて背を向けさせると斜めになってしまった結び目をまっすぐ整えてあげた。
「うん、よく似合ってる」
「ありがとう。あのね、私も実はお姉ちゃんに渡すものがあるんだ」
 そう言ってサラは戸棚に向かい、引き出しにしまってあった箱を取り出して戻ってくる。ほら、と言って箱を開けるとそこには鮮やかな紅色のリボンがおさまっていた。
「サラ……」
「おかしいよね。二人とも同じようなものを選んでる。お姉ちゃん、そこに座って。結んであげる」
 促されるままエレンが鏡の前の椅子に座ると、サラは背後に立って彼女の髪を手に取った。いつものポニーテールの上に華やかなリボンを巻いていく。
「うん、やっぱり似合う」
 満足そうに姉の肩に手を乗せたサラは、くすくすと笑った。
「お揃いみたいだね。私もお姉ちゃんみたいに髪を高い位置で結ってみようかな」
「それはトムも驚くね」
 いつもと違う雰囲気のサラを想像してエレンは笑みを零した。
 鏡の中の姉妹は、それは大層仲睦まじく映った。

 


First Written : 2023/09/30