ソフィーがいない部屋に佇むギュスターヴ。
ソフィーのアニマが還ってから三週間程経っていた。トマス卿から、ヤーデ伯の屋敷に移り住む提案もあったものの、ギュスターヴはファウエンハイムの家に残ることを選択した。ほとんど住み込みでソフィーの世話をしていたレスリーも、必然と彼のそばにいることとなった。
食卓の上には昼食が並べられたままだった。いつもの時間になれば降りてくるだろうと思って待っていたが、一向にギュスターヴが来る気配はない。普段と比べると食欲は落ちてはいたものの、きちんと食事はとっていたはずなのに——それも、何事もなかったかのように冗談なども交えて、笑いながら。
時間をおいてから喪失が重くのしかかって来たのだろうか。笑顔をはりつけて食事をするよりは幾分健全かもしれないが——。
レスリーは彼の様子をうかがいに階段をのぼった。あがった先、左手の扉が少し開いていることに気づく。そこは、ソフィーの居室だった。閉め忘れたということはないはずだった。とすれば——と、レスリーは足音をなるべく消すようにして、そっとその隙間から中をのぞいた。
ソフィーが使用していたドレッサーの前でギュスターヴが立ち尽くしていた。引き出しが開いていたが、レスリーがいるところからは何が入っているかまではわからなかった。ソフィーが生きていた頃にも中身を見たことは無い。お世話をしている時も、個人的なものにはなるべく立ち入らないように配慮して、必要なものしか手に取らなかった。
ソフィーの部屋は、彼女が使用していた時のままだった。ギュスターヴがはっきりと何かを言っていたわけではないが、彼の気が済むまで片付けずに置いておくことにしたのだ。ベッドサイドには読みかけの本が並んでいたし、窓際の花瓶には変わらず花を生けていた。
それでも新しい花を持って入る度、レスリーは知らない部屋に足を踏み入れた気持ちになった。ソフィーのアニマが感じられない。あの優しく、美しいアニマに触れられない部屋は寒々として無機質だった。そこにあるのは綺麗に整った抜け殻だけ。
けれども、アニマを介さずに見たこの部屋はまた違うのかもしれない。ギュスターヴは今、何を視ているのだろう。何を感じているのだろう。
知らず手に力が入ると扉が小さく軋んだ音をたてた。ギュスターヴが、その音に気づき振り返る。それと同時に引き出しを閉めたのがわかった。
「ごめんなさい」
レスリーは謝った。そっと立ち去るべきだったのに、と。
「いや、いいんだ」
ギュスターヴは首を横に振った。レスリーがそばに近づくと、彼は部屋を見渡すように首を巡らせる。開いた窓から風が吹き込み、寝台のカーテンを優しく揺らしているのをぼんやりと眺めた。
「まだそこに母上がいる気がするんだ。部屋に香りが残っていて……」
静かに彼が呟く。最後は吐息混じりでほとんど音にならない。
——おかえりなさい、ギュスターヴ。
彼が部屋を訪れる度にソフィーは微笑んだ。その声がまだ耳に残っているのだ。
「おかしな話だろう? もういないってわかっているのに」
レスリーは首を振った。ははっと乾いた笑い声は、すすり泣きにも聞こえるのに、彼の目からは何も滲みでてこない。
「なぁ、レスリー、もし……もし、アニマが還るのを感じることができたのなら……」
絞り出すような声が最後まで言葉を紡ぐ前に、レスリーはギュスターヴの胸に縋り付くように抱きしめた。
どうして、と彼女は思う。
もっと取り乱していいのに。悲しんでいいのに。ソフィーのアニマが身体を離れたあの瞬間から、彼は急速に大人になろうとしている。
「……」
かわりになどならないのに、彼女の瞳から涙があふれる。その雫が彼の服を濡らしてしまっていることに気づく。
「ごめんなさい、私」
離れようとしたレスリーの身体を、ギュスターヴの腕が抱き込む。
「……もう少し、このままでいてくれないか」
消え入るような声が震えているのを感じて、レスリーは顔をあげられなかった。こたえるように、ギュスターヴの背に回した腕に力を込めた。
First Written : 2022/06/26