1248年テルムにて。眠れないギュスターヴ。
「ケルヴィン様」
フィニー王国首都テルムの王城。玉座の間から出てきたケルヴィンを見掛け、レスリーは小さく膝をまげて礼をする。
「レスリーか。今は普通に話してくれていいぞ」
では、と彼女は言う。レスリーはケルヴィンの侍女である為、公の場ではそのように振舞ったが、私的な場では昔馴染みならではの言葉遣いを許されていた。
「随分お疲れのようね」
「ああ。何分こちらでは色々勝手が違ってね。少し休憩で出てきた」
こめかみをほぐすように手をあてながら彼は答えた。テルム入りしてからまだ数日。戦後処理や諸侯の取りまとめなどやることは山積みだった。
「ではお茶でも入れてきましょうか」
「そうしてもらえると助かる」
といってから、ケルヴィンはふと考え込む。
「いや、それもいいが少し頼まれてくれないか」
コンコン、とレスリーは扉をノックする。すると中から返事が返ってきたことに、やっぱり、と彼女は肩を竦めた。
「失礼します」
一言断ってから部屋に入る。
「ケルヴィンの言った通りね」
今しがた入ってきた扉を閉じて、レスリーはテーブルに自分が運んできたトレイを置く。その上にはティーセットがのってる。ポットの注ぎ口から白い湯気がたちあがる。
『ギュスターヴのやつがどうも生気に欠いてな。話を進むに進められんから部屋に追い返したんだ。寝ろと言ったんだが……少し様子を見に行ってくれないか』
大人しく寝てるか疑わしい――ケルヴィンがにらんだ通り、ギュスターヴは寝室ではなく、窓際の椅子に腰掛けて遠くを眺めていた。
「レスリーか」
振り返ったギュスターヴの顔には確かにいつもの覇気がなかった。
「顔色が悪いわね。あまり寝てないんじゃないの?」
ポットから紅茶をカップへ注ぎ、彼の元へ運ぶ。彼は大人しくそれを受け取る。
「カモミールか」
「ええ。それを飲んで、少し横になるといいわ」
香りをかぐようにしてギュスターヴはカップに口を寄せる。ふぅーと息を吐いて先程の問いに答えるように呟いた。
「……寝てるさ」
「嘘。フリンが遅くまで部屋の明かりがついてたと言ってたもの」
レスリーも付き合うように自分のカップに注ぎ、目の前に座った。彼の目をじっと見つめていると、ギュスターヴはふっと視線を外した。
「――色々思い出してしまうんだ」
ぽつりぽつりとギュスターヴは口にし始めた。
幼い頃の楽しかった日々。
ファイアブランドの儀式の失敗。
城を追い出され、罵倒の言葉と共に石を投げられたこと。
貧民街での肩身の狭い暮らし。
小舟から眺めた夜の城。
血を分けた弟の最期の叫び。
テルムに戻ると否応なく頭に浮かび、夢の中でも離れない。
つとめて淡々と語ろうとするギュスターヴの言葉をレスリーはただじっと聞いていた。
お互いのカップが空になった頃、レスリーはさて、とギュスターヴの手を引いて彼を立たせる。そのまま彼の背中を寝室の方へ押しやる。
「お、おい、レスリー?」
「とりあえず貴方は寝た方がいいわ」
「だから眠れないって」
「いいから」
有無を言わさぬ様子にギュスターヴはベッドに横たわる。やわらかいスプリングの上に身体を預けると、自分でも疲れているのは実感するが、それでも瞳を閉じる気にはなれなかった。
「じゃあ、眠るまでそこに居てくれよ」
ギュスターヴは口を尖らして言った。それはちょっとした出来心で、どうせ断られると思って言ったものだが、意外にもレスリーは、仕方ないわね、と言ってベッドに座った。彼の額を小突いて微笑む。
「そばにいるわ。一人じゃないんだから安心して寝なさい」
「うん……」
ギュスターヴは眩しそうに目を細めた。彼女の声は耳に心地よく、不思議とまどろみを誘うようであった。
大人しくなったギュスターヴを見てレスリーはくすりと笑う。
「子守唄でも歌ってあげましょうか?」
「……いらない」
それこそ冗談ではあったのだが。そのかわり、とギュスターヴはもぞもぞと動きはじめた。
「ちょっと…!」
彼女の膝の上に頭を落ち着けると彼はにやりと笑った。
「ここがいい」
呆れたような視線を感じながら、駄目とは言われないのをいいことにギュスターヴはそのまま眠りにつくのだった。
レスリーは自分の膝の上を流れる金髪を撫でる。ギュスターヴはいつの間にか安らかな寝息をたてている。静かに上下する胸を眺めながら彼女は心の中でこぼした。
(本当にずるい人……)
こんなにも近いのに彼らの距離はそれ以上縮まらない。時に胸が苦しくなることもあったが、彼が躊躇うであろう一歩を踏み越えるつもりはレスリーにもなかった。
彼女はただ願う。
彼が悪夢を見ないように。
彼の笑顔が一日でも長く見られますように、と。
First Written : 2021/04/04