1250年頃。ハン・ノヴァ建設中に訪れるレスリー。
馬から降りて石畳の上に降り立つと、ブーツのヒールがカツンと小気味の良い音をたてた。
東大陸、ロードレスランド。ハンの廃墟に近いこの地にギュスターヴ十三世は城を築いた。街は今なお建設中である。
レスリー・ベーリングは降り立った中央広場から、宮殿を眺めた。彼が創った自分の為の居場所を見上げる。
(不思議なものね)
彼女はヤーデにいた頃の屋敷を思い浮かべた。今やあの時とは比べようもない。誇らしさと、少しの寂しさと。感慨に耽っていたところで、城の主――ギュスターヴが現れた。
「レスリー、よくきたな」
「ご機嫌麗しゅう、陛下」
深くお辞儀をするレスリーに、ギュスターヴは心底嫌そうに眉を寄せた。
レスリーの訪問の名目は、カンタールと離縁したばかりのギュスターヴの妹マリーの為に、一時的な移住地としてのハン・ノヴァの視察であった。
「よせよ。今日は人払いをしてるんだ」
その役目も言うなれば、ギュスターヴを訪問する口実をケルヴィンに与えてもらったようなものだった。
人払いと言ってもさすがに周りには人影も多く、離れたところで護衛の目も光っていることだろう。どうしたものかとレスリーが思案していると、ギュスターヴは口をへの字に曲げた。齢三十になるとは思えないその仕草にレスリーは吹き出して降参した。
「わかったわ、ギュス」
「そうしてくれ」
すぐに上機嫌になったギュスターヴは彼女を手招く。
「レスリーに見せたいものがあるんだ」
街は三つの区画に分かれているという。その内の一画に向かいながら、二人は他愛もない話をしつづけた。
「ここだ」
ふと立ち止まるとギュスターヴは手を広げた。そこはまだ足場が組まれてまだ建設途中ではあったが、一部は既に稼働しているようであった。
もくもくとあちらこちらで蒸気が上がり、時折カーンカーンと高い音が鳴り響く。
「ここは…鍛冶屋街?」
ギュスターヴは頷いた。
レスリーはあたりを見回す。鋼鉄の装備を戦に導入したギュスターヴは、ワイドでも鍛冶屋や鉄工場を整備していたが、ここはそことは比べようもない程大規模なものだった。見たところ、店のようになっているところもあり、日用品も売っている。
「武器や防具だけじゃないのね」
レスリーが気づいたことにギュスターヴは笑みを浮かべる。
ギュスターヴが挙兵してから、彼の周りには少なからぬ人数の術不能者が集っていた。東大陸では迫害されている彼らが肩身の狭さを感じることなく住める街。それがハン・ノヴァ建設の目的の一つでもあった。
「ほら、あれとかさ」
ギュスターヴが街の各所を指差しで説明を始める。彼の目が活き活きと輝いているのを見つめてレスリーも微笑むのであった。
鍛冶屋街を抜け、商店街の方へ向かう時にふいにギュスターヴがレスリーを制した。
「あ、そこはまだ道が整備されてないんだ」
階段になるはずのそこは石がまだ積まれておらず、でこぼことしたゆるい坂道になっていた。レスリーを立ち止まらせ、ギュスターヴがそこを先に降りる。そして振り返って手を差し伸べた。
「お手をどうぞ、お嬢さん」
「もうお嬢さんなんて歳でもないわ」
レスリーは可笑しそうに笑うと恭しく差し出されたその手に自分の手を重ねた。
新しい街。彼が自分の手で獲得したもの。また一つ、彼が一歩先に進む。
それを隣で見守ることがまだ許されることを彼女は幸運に思った。
「この先は?」
ギュスターヴとレスリーは建設中のハン・ノヴァの街を見て回っていた。鍛冶屋街、商店街と抜けて、彼らは三つ目の区画に移動する。建物が所狭しと密集しているが、鍛冶屋街とは違い、まだ稼働しているところはあまりなさそうだった。
「ここは…歓楽街だ」
ふとレスリーの冷たい目線を感じてギュスターヴは慌てて弁明する。
「そんな顔で見るなよ。なんでも首都には歓楽街は必要だって言われてだな」
「ふーん」
「信じてないだろ。ほんとだぞ」
先程までの穏やかな時間はどこへやら、一気に気持ちが冷めてしまった。
(女遊びなんて、今更なんだろうけど…)
レスリーはギュスターヴの評判を思う。ワイドでもテルムでも彼の女好きはよく噂されていたものだ。噂話のどこまでが本当なのかそうでないのか、それは知らない。知りたくもなかった。ハン・ノヴァでもそうなんだろうか。夜の街に消え行くギュスターヴを想像し、レスリーは顔を曇らせた。
「おい、レスリー」
「いいのよ、気にしないで」
「待てよ」
足早に歩き出したレスリーをギュスターヴは慌てて追いかける。追いついた彼はレスリーの手首を掴むと、逆に彼女を引っ張るように人目を逃れて路地に入り込む。建物と建物の間の闇に二人の姿が完全に隠れたところで、ギュスターヴはくるっと振り返った。驚くレスリーの肩をつかんで自分を向かせ、彼女の唇を奪う。
「……噂なんて本気にするなよ」
口を離すとギュスターヴは低い声で囁いた。
女好きと思われる、その方が都合が良かったこともある。そのことを利用したこともあったので、完全に誤解とは言いきれないのだが――
黙りこくるレスリーにギュスターヴは焦りを見せた。
「俺を信じてくれないのか?」
「ギュス……そんな言い方ずるいわ」
俯くレスリーが顔を隠すように手をあてた。彼はその手をそっと開かせると彼女の目尻に浮かんだ雫を唇で拭う。泣かせてしまったことに胸が少し痛みながらも、それ以上に言いようのない愛しさでギュスターヴはまた彼女に口付けた。
First Written : 2021/06/04