1236年頃。ギュスレスとアンズ。
「ねぇ、どこに行くの?」
「いいからついて来いよ」
レスリーは彼女の前を歩く少年に聞いたが、彼は振り返ることもなくただ先を進む。どこかへ向かっていることは確かなのだろうが、何故とか何処なのかとかいう質問をしてもギュスターヴから明確な回答はかえってこない。レスリーは諦めて口を噤んだ。彼の歩調は速く、レスリーはついて行くのが精一杯だったのもある。春の兆しを感じるこの頃、風はまだ少し冷たかったが、小走りになることで火照った体にはちょうどよかった。
町外れについたところでギュスターヴは歩みを止めた。急に立ち止まった彼の背中にレスリーは軽くぶつかってしまう。
「もう、ギュスってば」
「見ろよ」
額をおさえて文句の言葉を口にすると、ギュスターヴは少しふりかえってから頭上を指さした。言われるままレスリーは見上げる。
「あ……」
大きく伸びた木の枝にぽつりぽつりと白い花がまばらに咲いていた。小さく丸いその花は控えめで、なんとも可愛らしい。
「ひょっとして……」
「これが杏子の花だ」
レスリーがギュスターヴを見ると、彼はどこか得意気にそう答えた。
(……覚えてたんだ)
レスリーがヤーデに来たのは一年程前。この地では杏子を生で食べることができると教えてもらった。現に、生の杏子を村人から頂いて、ソフィーの家で彼女も食べたことがある。シロップやジャムとはまた違った味わいを堪能していると、ふと思って口に出したのだった。
杏子の花ってどんなのだろう、と。
実がとれるくらいでその頃はもう花の時期は終わっていたため、実際に見ることは叶わなかった。
あの時、ただその場でぽつりと呟かれた言葉を彼は覚えていて、わざわざ見せてくれたのだ。
レスリーはそれを思うとなんだかくすぐったくなって微笑んだ。ギュスターヴはそれを横目でちらっと見たようだった。彼の耳はほんのりと赤味を帯びていた。
しばらくの間、二人は花を見上げていた。
――あの時から十五年程の月日がたち。
ケルヴィンがマリーと結婚し、レスリーは彼らと共にヤーデに戻っていた。ほのかに暖かい日差しの中、まだ少し冷たい風が吹き、彼女の髪と頭上の花を揺らしていく。
小さく可愛らしい花にはこのような花言葉があることを彼女は後で知った。
『乙女のはにかみ』
そして、
『臆病な恋』
レスリーは、今は遠くの地にいる彼を思い浮かべた。
First Written : 2021/06/12