奇縁

ギュスターヴがヨハンを護衛に取り立てるという話をする。

 


 

「ギュスターヴ、本気で言っているのか?」
「もちろん、本気だが?」
 ケルヴィンは真剣な眼差しでギュスターヴを正面から見据えた。対するギュスターヴは少し面白そうに頬を緩ませて答える。その返答にケルヴィンは頭を抱えそうになった。
 ハン・ノヴァの執務室は彼ら二人以外にはギュスターヴと近しい者数人だけを残して、扉は締め切られていた。報告がある、と城主であるギュスターヴが他の者達を呼び出した形である。
 曰く、最近ハンの廃墟で保護した青年を自分の護衛として取り立てる、と。
 そしてケルヴィンはそれに異を唱えていた。
「私は反対だ。暗殺組織に所属していた者だぞ? お前を狙っていないと、どうして言える?」
「その組織を抜けて追われていたという話だ」
「組織を抜けたふりをして油断させる腹積りだとしたら?」
「その時は、俺の運がなかったってだけだ」
「……!」
「まぁ、そう簡単に殺られるつもりもないけどな」
 ギュスターヴはそう言って不敵に笑った。その迫力に一瞬言葉をなくしたケルヴィンだったが、我に返って言葉を継ぎ足す。
「そういう問題ではないだろう!」
 声を荒らげるケルヴィンにギュスターヴは顔を顰めてこめかみに指をあてた。そんな彼の様子に構わず、ケルヴィンはさらにたたみかける。
「そもそもだな、お前は気軽に街に出過ぎなんだ。もっと危機感を持て」
「その為にも護衛をつけようって話じゃないか?」
「だから、もっと相応しい者がいるだろう、と」
 くどくどと続くケルヴィンの説教にそろそろ嫌気がさしたのか、ギュスターヴが急に立ち上がった。彼の動きに一時的に口を噤んだケルヴィンが次の言葉を発する前に、ギュスターヴは有無を言わさぬ声音を出した。
「これは内々での報告だ。元より意見は求めていない」
 そういうことでな、とギュスターヴが部屋を出ていく。
「話は終わってないぞ、ギュスターヴ!」
 ハッとしてケルヴィンがその背中に声を投げつけたが返事はなく、執務室の扉が重い音を立てて閉じただけだった。
「……っ!」
 ギュスターヴの勝手な振る舞いにケルヴィンは歯噛みする。彼は部屋の中を見回した。ケルヴィン以外の三人――レスリー、フリン、ムートンはそれぞれ諦めの表情を浮かべている。
「レスリー、君からもなんとか言ってやってくれ」
 縋るようなケルヴィンの視線をうけて、レスリーは仕方ないという風に笑って肩を竦めた。
「あの人がそう決めたなら今更何を言っても無駄でしょう?」
「ボクもそう思う」
 フリンも眉尻を下げてレスリーの言葉に頷くだけだった。
「全く……」
 ケルヴィンの溜息に、ムートンも首を横に振った。
「ケルヴィン殿が来る前にも一通りお話ししたのですが、梃子でも動かないご様子」
 付き合いの長い三人の意見だ。ケルヴィンも内心では彼らの言うことはもっともだとわかってはいたものの、すぐには認めたくなかった。
「とにかく、もう少し話をしてくる」
 ケルヴィンも執務室の扉を開いて出ていく。
 取り残された三人も解散することにした。レスリーの後に続いてフリンが部屋を出ていこうとするのをムートンがそっと呼び止めた。
「フリンさん……」
「うん、わかってるよ」 
 ムートンの意図を察して頷くと、フリンは外へと向かった。

 ギュスターヴに追いついたケルヴィンは、どこぞへと向かう彼の横にぴたりとつけるように歩いていた。どうやら離れに向かっているらしいギュスターヴの歩幅は大きく、ケルヴィンはやや早歩きのような状態で彼にはりつく。
「聞いているのか、ギュスターヴ!」
「大きな声を出すな。わざわざ呼び出した意味がなくなるだろう」
 指摘され、周りからの好奇の目を気にしたケルヴィンが囁くような声になったが、彼の小言は続く。息を潜めながらも噛み付くような彼に、半ば呆れながら、半ば楽しみながらギュスターヴは適当にあしらい、ある扉の前でぴたりと止まった。
「聞きたいことがあるなら直接本人に聞けばいいだろう?」
(ここは……)
 ケルヴィンが目的地についてぼんやりと考えているうちに、ギュスターヴはその扉を押し開いた。
 部屋の奥には寝台が一つ。寝台には上半身を起こしてこちらを見ている金髪の青年が一人。手前の椅子に座って振り返る茶髪の少年が一人。
「ギュスターヴ様?」
「ヴァン、お前もいたか」
 そこはヨハン――件の元暗殺者――が身体を休めている部屋だった。ハンの廃墟で発見された時は追っ手との戦いで負傷しており、その傷を癒す為にしばらく安静にする必要があった。そしてギュスターヴと一緒にその場に居合わせていたヴァンアーブルが、ヨハンの世話をするために何かと部屋を訪れていた。
「ヨハン、この前言っていた件だが、承諾を得たぞ。傷が治り次第、任についてもらうからそのつもりで」
「いえ、そのお話は……」 
(承諾はしていない!)
 ケルヴィンが心の中でギュスターヴに毒づいた。ヨハン本人の反応も気にせず、ギュスターヴはまたそれだけ言って満足したのか、ヴァンの肩を叩いて、任せたぞ、とひと言の末すぐ踵《きびす》を返した。
 呆気にとられてるうちにその場を立ち去ったギュスターヴにまたもや置いてかれたことにケルヴィンは気づく。
(あいつめ……!)
 ギュスターヴが消えていった方角を睨みつけていると、ケルヴィンはヨハンの視線に気がついて振り向いた。
 ヨハンは彼をひたと見つめていた。その静かな眼差しにケルヴィンはドキリとする。彼と会ったのは初めてではないものの、彼が持つ独特の雰囲気に未だ慣れずにいた。
「その様子だと、満場一致というわけではなさそうですね」
「その、だな……」
 ヨハンが辛うじてわかるぐらいの苦笑いを浮かべているのを見て、ケルヴィンはやや緊張をとく。廊下での会話が聞こえた訳では無いだろうが、顔には出ていたのだろう。決まりが悪かった。
「ケルヴィン様のおっしゃりたいことは分かります。私も辞すべきだと思い、そう申し上げたのですが」
「……まぁ見ての通りだ」
 表情は分かりづらいが、ヨハンもギュスターヴの意図に戸惑っているようだった。ケルヴィンは話を続けようとして、そして首を横に振ってやめた。
「いや、怪我人の前でするべき話ではないな。また日を改めて話をしよう」
 騒がせたな、とケルヴィンが言うと、ヨハンは会釈を返す。一見、真面目な青年であるようには感じる。ただ、それと護衛のことは別問題だ。
「ケルヴィン様!」
 ケルヴィンが部屋を出ると、後ろからパタパタと足音がして、ヴァンが呼び止めてきた。
「どうした、ヴァン?」
「あの、上手く言えないんですけど」
 ヴァンは逡巡した。
「ヨハンの……あの人のアニマは優しい。だから、ケルヴィン様が懸念されていることにはならないと思うんです」
 言葉を探しながら拳を握りしめて力説するヴァンに、ケルヴィンは微笑んだ。この少年は随分とヨハンを慕っているらしい。ヨハンが城に来てから一番長い時間を共に過ごしているのだから、何か感じるものがあるのだろう。
 しかし、とケルヴィンは思う。
「だが、明確な殺意がなくとも、暗殺者は務まるものだよ」
(もしギュスターヴが南大陸に侵攻するようなら……)
 ケルヴィンはふと頭を過ぎった考えを振り払うように目を伏せた。
(いや、そうならないようにすると決めたのではないか。ナ国への忠義を尽くして……)
 考え出すと頭が痛くなることだらけだった。ケルヴィンはふうと長い息を吐くと、顔を曇らせたヴァンの肩を叩いた。
「先程も言ったが、また改めて話をしにくるよ」
 ヴァンはなおも何か言いたそうにしていたが、ケルヴィンを見上げて静かに頷いた。
 

 パタンと扉が閉じて、ヴァンが部屋に戻ってくる。まるで叱られたかのようにしょんぼりと肩を落としている彼をヨハンはじっと観察する。
「ヨハン、その、気を悪くしないでね。ギュスターヴ様があんな感じだから、ケルヴィン様も慎重になっていて……」
「それが普通だと思うが」
 言いづらそうにポツポツと語り出すヴァンがヨハンには不思議だった。何故彼は暗殺者である自分を怖がらないのか。まるで永年の友人であるかのようにヨハンのことで落ち込む彼が、何を思ってそうするのかが理解できなかった。
 ギュスターヴにしてもそうだった。得体の知れない男を連れ帰るだけでなく、護衛になどと。彼が言うことは突拍子が無さすぎて驚くことばかりだった。
「でもそのうちきっとわかってくれるよ!」
 ヴァンが今度は明るくはしゃぐように言う。その表情の変化もヨハンには馴染みのないものだった。気配も表情も殺すもの、そういう環境で育ってきた自分にとって、ヴァンは別世界の人間のようだった。
(私からしたらお前やギュスターヴ様の方がわからない……)
 でもそれでいて決して不快ではないことにヨハンも薄々気づいていた。

 


First Written : 2021/12/04