主ある花

ギュスレスとケルマリ。
テルムで父からの手紙を読んだケルヴィンとレスリーの会話。


 

 テルムの城内。ケルヴィン個人に割り当てられた執務室で、部屋の主は眉間に皺を寄せてある書状を見ていた。お茶休憩のために入室したレスリーは、いつも以上に苦悩がみえるその顔に首を傾げる。ケルヴィンが難しい顔をしていることはよくあることだ——特にギュスターヴが絡んでいるならば尚更。でも今のそれはそういう類とは異なった雰囲気だった。
「どうしたの、ケルヴィン?」
「あぁ、レスリーか。ありがとう」
 紅茶を差し出したレスリーに気付き、ケルヴィンは礼を言いながら深くため息をついた。
「父上からの手紙だ」
 そういえば、とトマス卿からの封書を彼に手渡したことをレスリーは思い出す。ヤーデ伯からの便りは別に珍しいことではない。ケルヴィンも近況をよく送っていたはずだ。
「ヤーデで何か問題でも?」
「いや、そうではなくてだな……」
 歯切れが悪いまま、ケルヴィンは紅茶を一口啜った。
「結婚する気がないなら養子をとれ、とのことだ」
「あぁ……」
「今までもそれとなく言われてきたことだが、ここまではっきり書かれたのは初めてだ。忙しさを理由にずっと縁談は断ってきたからな」
「そうね」
 レスリーは頷いた。
 実際、ギュスターヴ十二世が崩御してから慌ただしい日々だった。近頃ようやくフィニーの政治がうまく回り始めたぐらいなのだが、南大陸を出てから随分と時間は経っている。ケルヴィンも齢三十になるので、そういう話が出てくるのは仕方がなかった。
 それは同じ年齢であるレスリーも、ではある。
「レスリーは父上から何も言われていないか?」
「トマス卿から? なぜ?」
「いや……ヤーデでは私とレスリーがそういう仲なのではないかという噂もあるらしくてな。レスリーにそういうことで迷惑がかかっていないかと……。いや、父上は噂の真偽はわかっていると思うが、その」
「……そういうことね」
 ケルヴィンが言外に濁したことについてレスリーはわずかに顔をしかめた。ケルヴィンと噂になるのも申し訳ないが、レスリーが縁談を断っている事情について他人に推測されるのも複雑だ。
「そうね、新しく伯爵家に奉公にきた人に暗に聞かれるのは確かね」
「すまない」
「別にいいのよ。何もないんだし。ケルヴィンも大変ね。私もいろいろ言われてるからわかるわ」
 レスリーも数々の結婚話を断って東大陸に来た。伯爵家に仕える縁もあって商家でしかないベーリング家にとっては願ってもない家柄の御仁からの話もあった。それを全て振り切ってでも、レスリーはテルムに行くことを選択した。
 少しでも『彼』のそばにいたいと願ったから。
「結婚したくない理由なんて人それぞれ。放っておいてほしいけど、ケルヴィンは私とは立場が違うからそうも言ってられないのが辛いわね」
「全く頭が痛い話だ。養子をとるにしろ、結婚するにしろ、誰かを不幸にすることだけは願い下げだな」
 苦虫を噛み潰したような顔をするケルヴィンが誰のことを考えているのかがわかって、レスリーは内心苦笑いを浮かべた。お互いままならないものだ。ケルヴィンがどこまで自覚しているかは知らないが。
「そうだ、レスリー。話は変わるが、近々フィニーをフィリップ様に任せて、ギュスターヴも私も拠点をハン・ノヴァに移すことになるだろう。テルムに滞在なさってるマリー様もハン・ノヴァにうつるそうだ。レスリーもついてきてくれると心強い」
 ギュスターヴはフィニーの王位を望まず、ロードレスランドに新しい都を建設中だ。彼は既にできあがった宮殿に居をうつしている。テルムにも度々来てはいるものの、レスリーは最近ギュスターヴの顔を見ていなかった。
 次は、ハン・ノヴァへ。またギュスターヴがいるところへ。
 今更グリューゲルに帰れと言われるとはレスリーも思っていなかったが、改めて誘いがあると安堵の気持ちが強かった。
 感情が滲み出ぬようにレスリーは顔を引き締めた。
「ええ、もちろん。私はヤーデ伯爵家ご子息ケルヴィン様の侍女ですもの」
「うむ、ありがとう。しかし、レスリーも素直に喜んでもいいだろうに……」
「何のことでしょう? そういうケルヴィン様はどうなんですか?」
「それこそ何のことだ、レスリー?」
 ケルヴィンの表情からうかがえる無自覚な恋慕にレスリーは肩を竦めた。
 貴族の結婚は庶民とはちがう。ましてやケルヴィンが心を寄せる相手は既に婚姻関係を結んでいる。
 お互い、ままならない。
 結婚、子供、跡継ぎ。
 問題から顔を背け続けることはできないだろうが、アニマだけは自由でいたいとレスリーは願うのだった。

 


First Written : 2025/04/13