忘れじの詩 - 7/10

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 グリューゲル近郊の海のそば。小高い丘の上に用意してもらえた一軒家に私達は住むことになった。歩けば近くに村はあるが、用事がなければこちらには誰も来ない。静かな、理想的な家だった。
 ワイドの屋敷などとは比べようもなく小さな家だったが、二人暮らしには十分すぎる大きさだった。どことなくファウエンハイムでソフィー様達が住んでいた家に似ていて、懐かしくなる。あの頃、時折台所を使わせてもらっていたのがここに来てまた役に立ちそうだった。
 
 寝室は分けるつもりだった。少し大きめのベッドを一つの部屋に置いて、そこはギュスターヴに使ってもらう。私はその隣の部屋を使う。
 そのつもりだった、のに——
 
 
「ギュス? 起きてる?」
 一度就寝の挨拶を済ませたはずが、私は彼の部屋の扉を叩いていた。
 せいぜい扉と廊下を挟んでいる程度なのに、姿が見えなくなると急に不安になったのだ。
「レスリー?」
 声が返ってきたことに安堵して私は部屋に入った。持ってきた燭台をかかげれば、寝台の上で横になっていたギュスターヴが少し身体を起こしていた。
 驚いたような、困惑したような、そんな表情を浮かべる彼に苦笑する。私が夜着のまま入ってきたことに戸惑ったのかもしれない。はしたないと言われれば言い訳ができない格好なのは自分でもわかっている。でもこの後に言おうとしていることに比べたら大したことではなかった。
「その……、隣で寝てもいいかしら」
「え……?」
 ギュスターヴの目が大きく見開かれる。およそ予想通りの反応だったけど、恥ずかしさにかっと顔に熱が集まった。
「そんな顔しないでよ。何を考えているのか知らないけど、そういうのじゃないから」
 念のためくぎをさしておくと、ギュスターヴはああだかうんだとかと曖昧な返事をしたが、身体を横にずらして私のための場所を空けてくれた。
 ギュスターヴの体温であたたまったベッドに滑り込む。我ながらなんてことをしているのだろうと思う半分、そうでもしないと不安で眠れそうになかった。
 燭台を消すと、窓から差し込む月明かりばかりになる。横になると、ギュスターヴも身体を寝かせたのがわかった。うっすらと視界にうつる影に私は手を伸ばした。耳にギュスターヴの息遣いが聞こえる。
「あなたの胸の音を聞きながら眠りたいの」
 意を決して発した精一杯のわがままを、ギュスターヴは黙って迎え入れてくれた。
 私はギュスターヴのアニマを感じることができない。だから、直に触れて、見て、聴かないと存在を確かめられない。それをはっきりと口にしたくなくて、でもおそらく彼にはお見通しだったと思う。
 耳をぴたりと彼の胸につければ、どくどくと規則正しく響く音がする。彼が目の前に居ることを実感できる。少し速い音も、嬉しかった。
「レスリー、泣いてるのか?」
 震えた私の肩を彼の右手が優しく撫でる。息を詰めて嗚咽が漏れないようにしたが、あまり効果はなかった。
「安心しろ。アニマがあろうがなかろうが、俺は生きている」
「嬉しいのよ、ギュス……あなた、変わったわね」
 以前なら自虐の言葉を吐いていた彼の心の変化に、堪えていたはずの涙が溢れだした。私の腕をさすっていた彼の手のひらが背中へと移動する。触れたところが温かな熱となって私を包み込む。
「片腕しかないのがもどかしいな。レスリーをしっかり抱きしめられない」
「いいの。私がその分、あなたをつかまえておけばいいのよ」
 彼の身体に両腕を回して、ギュスターヴの香りを胸いっぱいに抱きしめながら私は眠りについた。