忘れじの詩 - 7/9

  * * *

 私は母宛に手紙を書いた。
 シュヴァルツメドヘンまでついてきた子は不満そうだったが、それを持って一足先に帰ってもらった。
 グリューゲルから少し離れたところに家を貰い受けたいこと。私の旅はまだ終わっていないようだ、ということ——
 敏い母ならきっとわかってくれると信じて封をした。
 
 ギュスターヴ十三世はもういない。
 彼の存在はその最期まで秘匿されなくてはいけない。
 なるべく人に詮索されないところへ。

 静かに、穏やかに、暮らせればいい。
 
 私が来てからシルマール先生は留守にすることが増えた。おそらくヴァンアーブルと会っているのだと思う。
 ヴァンはどう思うだろうか——同じようにギュスターヴも気になってはいたのだろう。シルマール先生はギュスに「心配しなくていい」と言っていた。
「ヴァンのことは私に任せておいてください。別れはいつの日か来るものです。それがいつか、というだけ」
 先生の口ぶりからすると、ヴァンには知らせないままなのかもしれない。
 罪悪感は拭えなかったけれど、私達は先生の言葉に甘えることにした。ギュスターヴの生存を知る者は少ない方がいい。それは確かなことだった。
 黙っていることが罪ならば、私はそれを背負う覚悟を持たないといけない。彼と一緒にいるということは、そういうことなのかもしれなかった。
 
 
「なぁ、レスリー。髪を切ってくれないか?」
 ギュスターヴが伸びっぱなしの毛先を引っ張った。お付きの侍女たちが入念に手入れをしていた髪は今や艶を失って随分と傷んでいた。
「片手だと、髪を洗うのも大変なんだよ」
 それもそのはず。身体を洗うのも一苦労だろうし、髪に気を遣う余裕がないのも仕方ない。
「私、人の髪を切ったことなんてないわよ」
「切るだけだよ。乱雑な方が俺だとわかりにくくていいんじゃないか」
「そんなこと言っていると本当に適当にするわよ」
 彼の言い草に少しむっとしながらも、どうしたものかと考える。この家にハサミはあっただろうか。ないなら村の人からかりなければいけない。石のナイフで切るのはさすがに自信がなかった。
「髪色も変えてみるか? いっそ派手にしたら変装にいいんじゃないのか。見た目が奇抜な程見つかりにくい、だったか?」
 ギュスターヴがふっと漏らした笑い声が、なんとなく嗚咽のように聞こえて、私は彼の顔を見つめた。ギュスターヴは口元に笑みを浮かべたまま、何でもない風にくるりと私を見返した。
 無理しなくていいのに、と思う。息子のように可愛がっていたのだから哀しみが深いのは当たり前だ。ギュスターヴに影のように付き従っていた『彼』の笑顔をもう見ることはできないのだと思うと、私の心もじくりと痛んだ。彼の最期は苦しくなかっただろうか。今は安らかに眠れているのだと信じたかった。
「あなたの場合は逆効果だと思うわよ。でもそうね、髪を染めるのはいいかもしれない」
 これから移動するときに彼がギュスターヴだと気づかれてはいけない。慎重にするに越したことはなかった。
 ハサミと、染料。顔を隠せる帽子か外套なども用意しよう。
 ギュスターヴを守りきるために、やれることはやりたかった。 
 

  * * *
  

 グリューゲル近郊の海のそば。小高い丘の上に用意してもらえた一軒家に私達は住むことになった。歩けば近くに村はあるが、用事がなければこちらには誰も来ない。静かな、理想的な家だった。
 ワイドの屋敷などとは比べようもなく小さな家だったが、二人暮らしには十分すぎる大きさだった。どことなくファウエンハイムでソフィー様達が住んでいた家に似ていて懐かしくなる。あの頃、時折台所を使わせてもらっていたのがここに来てまた役に立ちそうだった。
 
 寝室は分けるつもりだった。少し大きめのベッドを一つの部屋に置いて、そこはギュスターヴに使ってもらう。私はその隣の部屋を使う。
 そのつもりだった、のに——
 
 
「ギュス? 起きてる?」
 一度就寝の挨拶を済ませたはずが、私は彼の部屋の扉を叩いていた。
 せいぜい扉と廊下を挟んでいる程度なのに、姿が見えなくなると急に不安になったのだ。
「レスリー?」
 声が返ってきたことに安堵して私は部屋に入った。持ってきた燭台をかかげれば、寝台の上で横になっていたギュスターヴが少し身体を起こしていた。
 驚いたような、困惑したような、そんな表情を浮かべる彼に苦笑する。私が夜着のまま入ってきたことに戸惑ったのかもしれない。はしたないと言われれば言い訳ができない格好なのは自分でもわかっている。でもこの後に言おうとしていることに比べたら大したことではなかった。
「その……、隣で寝てもいいかしら」
「え……?」
 ギュスターヴの目が大きく見開かれる。およそ予想通りの反応だったけど、恥ずかしさにかっと頬に熱が集まった。
「そんな顔しないでよ。何を考えているのか知らないけど、そういうのじゃないから」
 念のためくぎをさしておくと、ギュスターヴはああだかうんだとかと曖昧な返事をしたが、身体を横にずらして私のための場所を空けてくれた。
 ギュスターヴの体温であたたまったベッドに滑り込む。我ながらなんてことをしているのだろうと思う半分、そうでもしないと不安で眠れそうになかった。
 燭台を消すと、窓から差し込む月明かりばかりになる。横になると、ギュスターヴも身体を寝かせたのがわかった。うっすらと視界にうつる影に私は手を伸ばした。耳にギュスターヴの息遣いが聞こえる。
「あなたの胸の音を聞きながら眠りたいの」
 意を決して発した精一杯のわがままを、ギュスターヴは黙って迎え入れてくれた。
 私はギュスターヴのアニマを感じることができない。だから、直に触れて、見て、聴かないと存在を確かめられない。それをはっきりと口にしたくなくて、でもおそらく彼にはお見通しだったと思う。
 耳をぴたりと彼の胸につければ、どくどくと規則正しく響く音がする。彼が目の前に居ることを実感できる。少し速い音も、嬉しかった。
「レスリー、泣いてるのか?」
 震えた私の肩を彼の右手が優しく撫でる。息を詰めて嗚咽が漏れないようにしたが、あまり効果はなかった。
「安心しろ。アニマがあろうがなかろうが、俺は生きている」
「嬉しいのよ、ギュス……あなた、変わったわね」
 以前なら自虐の言葉を吐いていた彼の心の変化に、堪えていたはずの涙が溢れだした。私の腕をさすっていた彼の手のひらが背中へと移動する。触れたところが温かな熱となって私を包み込む。
「片腕しかないのがもどかしいな。レスリーをしっかり抱きしめられない」
「いいの。私がその分、あなたをつかまえておけばいいのよ」
 彼の身体に両腕を回して、ギュスターヴの香りを胸いっぱいに抱きしめながら私は眠りについた。