セドリックとプリムロゼのお話。セドリックのトラストネタバレ含みます。
細く長い指先が天へと伸ばされ、流れるように右へ左へと揺れ動く。しなやかな脚が虚空を泳ぐ度にシャラランと涼しい音で鈴が鳴った。まるで重みなどないかのようにふわりと身体が浮き上がり、また軽やかに地に舞い戻る。
――それは誰の為の舞だったのか。
そんなことはもはやどうでも良く、彼はただその姿に、瞬きすら忘れて魅入っていた。
カランという音をたて彼の手の中のグラスで氷がふるえた。唇を縁に寄せてグラスを傾けると、流れこんだ液体がピリリと彼の舌先を刺激する。
「神官様」
艶やかな声が彼を呼ぶ。グラスをテーブルに置くと、セドリックはその人影を見上げた。
「見に来てくれたのね、ありがとう」
この酒場の踊り子であるプリムロゼが唇に笑みを浮かべていた。彼女は、彼の手前にあった椅子を指さす。セドリックが頷くと、ありがとうと小さく言って彼女はそこに座った。
「素晴らしい舞でした」
プリムロゼはサンシェイドで人気の高い踊り子だった。彼女目当てで足繁く通う客もいる。彼女の舞を見れば誰もが魅了され、もう一度もう一度と足を何度も運びたくなるのだという。
「ありがとう。今回は見てくれたのね」
プリムロゼの言葉にセドリックは瞬いた。サンランド地方の舞踏に興味があって、セドリックは以前、この酒場に足を踏み入れた。想像以上の喧騒に気圧されながらも、彼はここで彼女達の舞を、確かに見た。
不思議そうに首を捻る彼に、プリムロゼは可笑しそうに笑った。
「だってあなた、最初に来た時、私を見てなかったでしょう? あの子が足を捻った時に現実に戻ってきたみたいな顔をしていたわ」
「それは……」
思い当たり、セドリックは言い淀む。
プリムロゼとあと二人。その日、舞台で踊る彼女達をセドリックは今日と同じ場所から見上げていた。
初めて見る踊りではあったが、その指先の動きに、足の運びに、知らず知らず彼女達にかつての『彼女』を重ねていた。
踊り子の一人が足を捻挫したことで、プリムロゼとの間に縁ができたのではあるが――
「次に来てくれた時はもっとひどい顔をしていた」
プリムロゼが指先をくるりと円を描くように回して、セドリックの顔を指す。悪戯っぽく笑う彼女を前に、恥じ入るようにセドリックは目を伏せた。
再び彼がこの酒場を訪れた時、彼の胸を占めていたのは暗い後悔だった。何の因果か、戦火で喪ったと思っていた『彼女』に再会したあとの話だ。
護ると誓ったはずなのに、自分が何もかも諦めてしまっていたことに打ちのめされていた。裏切られたという気持ちより、『彼女』が味わった地獄を思うと悔やんでも悔やみきれなかった。
なるほど、相当酷い顔をしていたのだろう。セドリックは苦笑いを浮かべた。
「プリムロゼさんには、随分失礼なことをしてしまいました」
彼女は気にしていないというようにゆるゆると首を横に振った。
「いいのよ、こうしてまた来てくれたのだから。今日は前よりいい顔をしている。……少し安心したわ」
普段の声とは違う響きに気づき、セドリックはプリムロゼを見つめた。軽く伏せられ睫毛がどこか憂いを帯びているような気がして、心が揺れる。
彼の視線に気づいて顔をあげた彼女はまた笑った。その微笑みは、気高く咲く一輪の薔薇を思わせる。いつものプリムロゼだった。
――そう、バラだ。
「プリムロゼさん、あなたにはお礼を言わなければ」
「あら、なにかしら?」
彼女が愉しそうに首を傾げると栗色の髪が揺れる。ほのかに甘い香りがした。
「おかげさまで砂漠のバラは見つかりました。ありがとうございます」
「そう。よかったわね」
セドリックが頭を下げると、プリムロゼは短く答える。あるいは素っ気なくも聞こえるその言葉が、彼にはかえって有り難かった。
『彼女』が好きだった砂漠のバラ。それはオアシスにあるはずだと、プリムロゼから聞いた。『永遠の愛』を意味するその鉱石は確かにそこにあった。
「バラはもう相応しい方に差し上げたのですが……」
セドリックは、一瞬目線を落とし、グラスに浮かぶ気泡を見つめた。
「……その美しさを見ることができて、本当に、良かった」
ほっと息を吐くように彼は続けた。しゅわりと音をたてて、グラスの泡は弾ける。
セドリックは確かに今、安堵していた。あの再会は聖火の導きだったのだ、と今なら言える気がした。
そう、とプリムロゼは静かに頷いた。
「また素敵なものが見つかるといいわね」
セドリックは微笑んだ。恐らく、聡い彼女は彼の言葉の意味を察しているのだろう。それでいて深くは踏み込んで来ない。それは彼女の気遣いなのか、彼女自身が抱える事情なのかはわからなかったが、セドリックには丁度良かった。
「そうですね。幸い、共に旅する仲間もできました」
「あら、噂をすればお友達が迎えにきたみたい」
プリムロゼに促されてセドリックが酒場の入口を見やると、そこには彼が共に旅する旅団の仲間が立っていた。もうそんな時間か、とセドリックは彼に頷くと、プリムロゼに向き直った。
「プリムロゼさん、あなたにも素敵なものが見つかりますように」
プリムロゼは彼の言葉に一瞬驚いた顔をしたが、すぐにまたいつもの微笑みを唇に浮かべた。
「ありがとう、神官様。よかったらまた遊びにいらして。次はお友達と一緒に」
できればお酒を頼んでね、とプリムロゼがふふっと笑った。セドリックも口元を綻ばせ、グラスの中に残った炭酸水を飲み干すと席を立った。
甘味はないが、後味は清涼だった。
First Written : 2021/12/26