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ワイドでのお話。東大陸への出兵を決めたギュスターヴに、レスリーは。

 


 

 レスリーは自室の寝台の端に腰掛けて、手紙を読んでいた。彼女が座ったところの傍らには小箱があり、その中にはさらに手紙の束がある。差出人はいつも同じだ。
 一息ついてレスリーは窓の外に目をやった。城の一室であるそこからはワイドの町並みが見える。ギュスターヴが来てから交易でさらに活気も出てきたが、ここのところはそれ以上に慌ただしさを伴うようになってきた。
 (そろそろ頃合なのかもしれないわね……)

 レスリーは自室を出てケルヴィンの執務室の扉をノックしていた。
「入ってくれ」
 招かれて入ると、ケルヴィンが書類から顔をあげた。こちらもまた山積みのようである。
「ケルヴィン様、少しお話が」
「どうした? 改まって」
 ケルヴィンは彼女の普段と少し違う様子に首を傾げた。

 

 それから数日後のこと。
 ケルヴィンは部屋の外で大きな足音を聞くことになる。ドタドタという足音はまっすぐ彼の部屋に近づいてきており、これもまた乱暴な音を伴って扉が開かれた。
「ケルヴィン!」
 ケルヴィンは振動で崩れ落ちそうになる書類の山を押さえながら、声の主を不機嫌そうに見上げた。
「ギュスターヴ、うるさいぞ」
 呼ばれた方はその言葉を意に解すことなく、ただならない様相でケルヴィンに迫る。
「本当なのか?!」
「……なんのことだ?」
 このワイドの領主ともあろう者が血相を変えて飛んでくるとは何事だろう。やや不審に思いながらケルヴィンは問い返す。
「レスリーが、」
 そこでギュスターヴは荒くなった息を整えるように一つ呼吸をする。
「レスリーがグリューゲルに帰るってのは!」
「あぁ、何かと思えばそのことか。聞いてなかったのか?」
「聞いてない!」
 ケルヴィンは眉をひそめた。てっきり彼女から話が行ってるものだと思っていた。
 ギュスターヴはひどく動揺しているようだった。
「少し落ち着け。ご実家から手紙が届いて、帰る決心をしたようだよ。ちょうど今日発つ予定だ」
 ケルヴィンが宥めるように説明すると、フリンが開いたままの戸口から顔を出して中を覗き込んできた。
「ギュスさま~。お城の人が何事かと驚いてるよ?」
 どうやらギュスターヴはたまたま侍女達がレスリーの話をしているところに通りかかったらしい。ギュスターヴの態度を見るに、彼女達をひどく怯えさせたのではないだろうか。後でまた話をしとかねばとケルヴィンは心の中で一つ仕事を増やす。
「フリン! レスリーを見たか?」
「レスリー? 多分部屋にいるんじゃないかな?」
「おい、ちょっと待てギュスターヴ! レスリーは別に」
 ケルヴィンはギュスターヴを止めようと立ち上がったが、ギュスターヴはフリンに感謝の言葉もなく、すぐ部屋をまた飛び出して行った。

「最後まで話を聞け……」
 ケルヴィンはギュスターヴが去っていた後を見やって呆れたように頭に手を当てた。フリンも肩を竦める。
「ギュスさま、レスリーのこととなるとちょっと変になるから」
「あれで自覚がないのか、わざとなのか……」
(やれやれ世話がやける)
 ケルヴィンはそうごちて、書類に戻るためにフリンに扉を閉めるように頼むのであった。

 レスリーもまた扉の外で大きな足音が聞こえ、振り向いた。ちょうど荷物をまとめ終えたところに、ギュスターヴが入ってきた。
「レスリー!」
「ギュス……?」
 彼はそのままレスリーに詰め寄ると彼女の両肩をつかむ。急な来訪者に驚く彼女にまくし立てた。
「レスリー、帰るっていうのは本当なのか! 一緒に、テルムまでついてくるのではなかったのか?」
「ギュス、私」
「俺は君が居てくれるものとばかりっ」
 (そう思ってたのは俺の勘違いなのか?)
 ギュスターヴは唇を噛んだ。
 みっともない。こんなことで取り乱すなんてどうかしている。これから軍を率いて故郷に攻め込もうとしているというのに。これでは彼を担ぎあげている者達に示しがつかないではないか。
 (そもそもこんな出来損ないを……)
「痛いわ、ギュスターヴ……」
 レスリーが身をよじるのを見てギュスターヴは慌てて手を離した。思わず強い力で彼女をつかんでいたことに気づく。
「す、すまん」
 俯くギュスターヴにレスリーは少し戸惑っていた。
「ギュス、何か誤解しているようだけど、グリューゲルには少しの間帰るだけよ? すぐ戻ってくるつもりだわ」
「え?」
 驚いてギュスターヴは顔をあげた。レスリーは困ったように笑って続ける。
「これから東大陸に向かうでしょ? そうしたらなかなか帰れなくなるから。ちょうど今はその準備で、私もさほどすることもなかったし、そろそろ一度顔を出しておかないといけないと思ってたのよ」
「なんだ、俺はてっきり」
 よろよろとギュスターヴは後ろに下がりそこにあった肘掛椅子に座り込む。ほっと安堵の息を吐いたと同時に、ムッとした顔をした。
「ケルヴィンのやつだってそんなこと言わなかったぞ」
「あなたどうせ最後まで話を聞かなかったのでしょう?」
 図星をさされてギュスターヴはうぐっと呻いた。レスリーはそんな彼をしげしげと見つめる。
 まさかこれほど気にしてくれるとは。必要とされている、と少しは自惚れてもいいのだろうか。嬉しい反面、なんだか悔しい。
「まぁすぐに戻るとは言っても、縁談の一つでも組まれてるかもしれないのだけど」
「え? まさか受けるのか?」
「さぁ、どうしようかしらね」
 さっと青くなるギュスターヴにレスリーはおどけてみせる。彼を少しの間だけ独り占めしているようでちょっと楽しい。
 何かを真剣に悩み出したようなギュスターヴにたまらず吹き出したレスリーは、彼の足元に座って彼の腕に自分の手を添えた。
「冗談よ。私はあなたについていくと決めたのだから」

 (本当は、あなたに帰れと言われるのが怖かったのよ)
 レスリーの元に届く実家からの手紙には、いつも彼女の身を気遣う言葉が連なっていた。ヤーデからそのまま来てしまったこと、無血開城とはいえワイドで起こった出来事に彼女が関わっていたこと――年頃の娘を両親が心配するのは仕方ないことだった。
 ギュスターヴに話したらそれを重く受け止めた彼がレスリーを無理にでも帰郷させ、そのまま戻ってくるなと言うのではないか。そう思って、黙って気づかれないうちにすませようとしたのだ。
 先程ギュスターヴに言ったこともあながち嘘ではない。娘の幸せを願っている両親は縁談の話も何度か寄越していた。その度に彼女はそれを断る手紙を書き続けていたのだ。

 例え、一人の女性として当たり前の幸せを手に入れられないのだとしても、彼女は彼のそばにいると決めたのだった。――きっとずっと昔から。
 (お父様、お母様、ごめんなさい。でもレスリーはこのように生きることを決めたのです)
 レスリーは心の中で両親に詫びた。

 


First Written : 2021/04/03