以前にリクエストいただいて書いた、ナイトプールなシャールとブルーのお話。
気温が高い日々が続いていた。本日も雨の気配ひとつ無く、外に出れば陽射しがジリジリと肌を焼いていく。熱に気力を奪われ、足が重くなっていく。必然と出歩く人は減り、みな少しでも涼しいところへと身を寄せていく。
街の北に立つ館へと足を踏み入れると、ひやりとした冷たさを感じてひと心地ついた。暑さには強いつもりであった自分も融けそうになるぐらいなのだから、『彼』なら尚更なのだろう。
そんなことを考えながら廊下を歩き続けていると、予想通りの場所に探していた人物がいた。異界の戦士向けに開放されている広間に、自由に使えるようにとテーブルがいくつか並ぶ。そのうちの一つを占拠するように、書物が数多くひろげられていた。頭の高い位置で結った金の髪がまるで本から生えているかのような姿に自然と笑みがこぼれる。全く勤勉なことだ。
「ブルー」
その名を呼んでも振り返るどころか、ぴくりとも反応を示さない。とはいえ、聞こえていないわけではないことは、付き合いも長くなった今ではわかっていた。無駄を徹底的に嫌うこの男は、必要である時以外は極端に無愛想になるのだ。
存在を感知しなかったフリをする彼の目の前に、二枚のチケットを差し出す。ぴらぴらと扇ぐように揺らしてみたら、ぎろりと睨まれた。
「なんのまねだ?」
「最近ずっと引きこもってばかりじゃないかと思ってな」
「この暑さで出歩く方が頭がおかしい」
確かにね、とは思う。かといって、ずっと室内でじっとしているのもよろしくはないだろう。しばらく遠征に出ることも、扉の解放に向かうこともなかったのだから、尚更だ。
ブルーは不機嫌を隠そうともせず眉間に皺を寄せている。
テーブルの上をちらりと盗み見る。彼が読んでいた本はおそらく術に関するものだろう。術のことになるとブルーは目の色が変わる。例え何をしていたとしても、近くで術を使って見せれば、すっと目を寄せてくる。吸い寄せられるように真剣に追ってくる目線があまりにも面白くて、さして必要もない時にでさえ簡単な朱鳥術を披露したりもした。もっともこの暑さではそんな気にもなれないところだが。
「ダリアスからチケットをもらったんだ。慰労の為、らしい」
「……良かったな」
ブルーは一言だけそう言うとすぐ視線を本に落とした。気分転換になるかと誘ったつもりが、本当につれない。とはいえ、想定内の反応だ。ふたつ返事で行くと言うとはこちらも思っていない。
「なんのチケットかも聞かないのか?」
「興味が無い」
すげない言葉にも慣れた。もう一度、今度は文字が読めるようにと、チケットを彼に見せる。
「ナイトプールだと」
「……」
返事は無いが、ブルーが少し反応したのがわかった。おそらく、その言葉に馴染みがなく、知識欲がくすぐられたのだろう。リージョン世界には無かったのか、あるいは彼が知らないだけか。聞くところ、リージョン界は数多の小さな世界が連なり、それぞれ独自の文化を育んでいるという。リージョン間はシップという乗り物で行き来は自由に行えるが、そんな環境の中、ブルーはさほど外の世界を知らずに生きてきたことが今まで知り得たことからうかがえた。簡単に言ってしまえば、どこか世間知らずなところがある。
ナイトプールに関していえば、自分もそれ程詳しいわけではない。同じ世界とはいえ、自分は遥か昔の時代からここに召喚された人間だ。三百年以上の時が流れれば、未知のものが増えるのは自然なことだ。
「日中じゃないから涼しいぞ。子供も来ないからゆっくりできるらしい」
「……」
「プールの中でバーもあるそうだ」
ダリアスから聞いた話を口にして、反応をうかがう。目線は落としたままだが、焦点は一点で止まったままであり、文字を追っている感じはない。少し気になりつつも、『遊びに行く』ことに抵抗がある、というところか。
ならば、理由を作ってやるとする。
「……いいのか?」
もったいぶるように、一呼吸あける。
「明日は満月だ。水面にうつった満月を前にすると、通常より月術の効果が高まるらしい」
月術と聞いた途端に視線がこちらを向いた。吹き出しそうになるのを堪えて、大真面目を取り繕う。ブルーはじーっとこちらを見据えたあと、ふっと唇の片端をあげた。
「その手にはのらないぞ。そういった記述は見たことがない」
そうやって得意気に言い返すのがまた笑みを誘うのだが、本人は全く気づいていない。
ブルーの言う通り、満月や水面の話は出鱈目だ。しかしここでボロを出さず、至って平静を装う。獲物が釣れるのはこれからだ。
「……いや、それとも……特殊な条件ならば、あるいは……」
狙い通り、ブルーは今度は顎の下に手をやってぶつぶつと何やら呟き出した。あともう一押し、ってところだ。ならば、ここは。
「……そうか、残念だ。だが、無理に行くものでもないからな」
「え……?」
「じゃあ、またな」
すっとチケットを引いて、体の距離もとる。あんぐりと口が開くのを目の端にとらえながら、踵を返し、部屋を出ようとする。と、おい、と声がかかり、袖の先が小さくひかれた。
「……人は集まるのか?」
振り返ると、視線は足下に落として眉根を寄せている。思考を巡らせ、もっともらしい理由を探しているのだろう。やはり可愛らしい、などと口にしたものならば容赦なく殴られるだろうが。ブルーの考えていることが手に取るようにわかる瞬間が何より嬉しい。
「人気だとは聞いている」
「…………なら、行ってもいい」
「……っ」
頬がゆるんだ。今度は抑える必要も無い。ちらりと見上げてきたブルーの目が大きく見開かれる。彼の頬がかっと赤くなったが、今頃気づいてももう遅い。
「言ったな」
「え、いや、ちょっと待て、それは!」
「約束だ」
はい、とチケットを一枚しっかりと彼の手に握らせる。彼の全身がわなわなと震えているのを感じながら、それ以上の言葉を発する前に、戸口の方へと足早に向かう。
「お前……! っ、シャール……!!」
鳴り響く怒声の、なんと心地よいことか。
これで少しは彼の気晴らしにもなるだろう。折角の休暇だ、行くからにはしっかり楽しみたい。旅の準備を整える為に店に向かう足が自然と軽やかになるのが自分でもわかった。
First Written : 2022/08/06