フリンが文字の書き方を習うお話。
ペン先が紙を撫でると、じわりと先端がそれを濡らし、染み込んだ色が曲線をかたどり言葉を紡いでいく。
テーブルへ真剣に顔を寄せているフリンの肩越しで、レスリーが満足そうに頷いた。
「休憩しましょうか。お茶を入れてくるわ」
「ありがとう、レスリー」
フリンは顔をあげてにこりと彼女に微笑むと、また目前の紙へと目をうつす。そして、思いついたようにまたペン先をインクにつけた。記憶をたどりながら、手を動かしてみる。丁寧に、ゆっくりと。時折カリッカリッと引っ掻くような音がした。
書き切ってから、紙の上に余計なシミを作らないように注意して、ペンを戻す。ふぅとひと息ついたところで、ギュスターヴが部屋に入ってきた。
「何をしてるんだ?」
「あ、おかえり〜、ギュス様。レスリーにまた文字の書き方を教えてもらってたんだ」
ふぅん、とギュスターヴは鼻から声を漏らすと室内をちらりと見回した後、フリンの座るテーブルへと身を乗りだした。
術不能者として生まれ、ましてや裕福な家の出でも無かったフリンは、グリューゲルからヤーデに移り住むまで読み書きを習う機会がなかった。ギュスターヴの母、ソフィーが本を読み聞かせ、彼女に少しずつ文字の読み方を教えてもらったのが最初だ。ソフィーが体調を崩してからはレスリー、ケルヴィンがその後を継ぎ、今では読むことにおいてはほとんど支障がないと言ってもよかった。
それでもペンを握り、自分で文字を書くとなるとまた別の話だった。ギュスターヴと行動を共にするからには書くことも覚えた方が良いだろう、とレスリーに教えを乞い、習っている最中だ。
ギュスターヴはフリンが今しがた書いていた紙を覗き込むと、ぷっと吹き出した。
「お前、これじゃ『フレン』だろうが」
「え、ほんと?」
以前に教えてもらった通りに自分の名前を書いたはずだが、とフリンがもう一度目を落とすと、力の加減が下手でぐらぐらになった文字は確かに『フリン』ではなく『フレン』と読めた。
笑われて肩を落としたフリンの横から紙を奪い取り、ギュスターヴが羽根ペンを手にした。
「こうだろう」
踊るように揺れる羽根の動きと、すっと落ち着いた彼の表情にフリンが見とれてるうちに、ギュスターヴがペンを戻し、紙を突っ返してきた。
(わぁっ……)
ギュスターヴが書いたものを目にした途端、フリンの顔がみるみる明るくなる。
「ギュス? おかえりなさい」
ポットとカップをのせたトレイを手にしたレスリーがその場に戻ってくると、フリンは目を輝かせて彼女を手招いた。
「レスリー、みてみて!」
興奮した様子の彼に驚きながら、手元を見つめると、流れるように優雅でありながらもはっきりと読みやすい文字で、フリンの名前がそこに書いてあった。
(これは……)
ギュスターヴの出自を思えば何も意外ではないのだが、普段の様子からは想像できない丁寧な文字に、レスリーも知らず感嘆の息を漏らす。フリンが喜ぶわけだ。
「ギュス様、これ一生大事にするね!」
「馬鹿! そんなゴミ、すぐ捨ててしまえ」
感激で今にでも泣きそうなフリンの後頭部を、真っ赤になったギュスターヴがいつもの乱暴さで叩いた。
First Written : 2022/09/11