涼風に察る

ハン・ノヴァでケルヴィンの為にギュスターヴを探しに行ったレスリー。
「すずかぜにしる」と読みます。


 

 グリューゲルの商家の出であるレスリーはアニマ感知に特別長けているわけではない。名のある術士、シルマールから直接手ほどきを受ける機会が少しあった分、全く訓練を受けていない者よりは多少心得はあるものの、術士と名乗れる程の才は無かった。極々人並みに術が使える、そんなところだ。
 アニマを感知して人を見つけるなどという技は彼女には使えなかった。それなりに近くにいればその人のアニマを感じることはできる。だが遠く離れてしまえばどこにいるかなど検討もつかない。
 それでもレスリーは『彼』を探すことについては得意といえた。それはアニマ感知とは程遠い能力ではあったが——
 
「ギュス。皆が探していたわよ」
 レスリーは空を仰ぎみるようにして彼の人物の名を唇に乗せた。
「レスリー……最近見つけるのがケルヴィンより上手くなっていないか?」
 彼女の頭の遥か上に枝を伸ばす大樹から降ってくるギュスターヴの声は可笑しそうに響く。嬉しさをのぞかせる彼の声音に思わず頬がゆるみそうになるのをぐっと堪えて引き締める。
「あなた、子供の頃から変わってないもの」
 レスリーは諌めるような口調を意識した。ここで彼のペースに巻き込まれたり絆されたりすれば探しにきた意味が無くなってしまう。ギュスターヴの承認が必要な案件が溜まっているのだとケルヴィンが嘆いていた。ハン・ノヴァに常時いるわけではないケルヴィンの負担を減らす為にレスリーは協力を申し出たのだ。ヤーデで待っているマリーや彼の子供達の為にも。
「一国の主が齢三十五になったというのに木の上で昼寝をしているなんてこと、ケルヴィンは信じたくないのよ」
 うーん、とわずかに伸びをしてギュスターヴは目を細める。おまけに欠伸を一つした。そんな小さな苦言は彼には全く効かない。
「ほら、そろそろ戻って」
 レスリーが急かしてもギュスターヴは一向に降りてくる気配が無かった。痺れを切らした彼女が追加で文句を言おうかと口を開きかけた時、彼がぽつりと呟いた。
「俺がいなくてもいいんだ」
 レスリーは、むっと唇を引き結ぶ。
「何を言ってるの、あなたがいなきゃ進まないことだらけだという話よ。だからこうして探しにきたんでしょう」
「居たとしても書類に判を押すか一言頷くだけだよ。ケルヴィンやムートンが全てやってくれている。俺が急にどこかに居なくなったとしてもなんの問題もなく、物事は滞りなく進むんだ」
 彼の言葉はふざけているようでもあり、それでいて静かに落ち着いているようでもあった。レスリーはギュスターヴの表情を見ようとしたが、彼の視線はどこか遠く虚空に浮かぶ。
「冗談じゃないわ。あなたがいなかったらあなたが築いたこの国は見る間に瓦解する。だから後継の話だって、」
 そこでレスリーは言葉を飲み込み、手を自分の胸の前でぎゅっと結んだ。ギュスターヴが彼女に視線を向けてきたのがわかる。彼女とてそんなことを言いたかったわけじゃない。居なくなる、だなんて彼が簡単に口にするものだから。彼の傷をこんな風に暴きたいわけじゃないのに。
 ギュスターヴはレスリーをじっと見つめた後で、ふっと眉を下げて笑った。おどけたように両手を大きく開いてみせる。
「誰だっていいんだ。ケルヴィンが後を継げばいいさ」
 レスリーは詰めていた息をゆるく吐いた。唇が震えないように気をつけながら、彼と同じように笑みを浮かべる。
「ケルヴィンはナ国の臣下よ、それは無茶な話だわ」
「ナ国なんて気にしなければいいんだよ。東大陸やこっちまで手を伸ばしてくる余裕なんてないだろうさ。ケルヴィンは優しすぎるんだ」
「ケルヴィンの優しさは彼の良いところよ。あなたも知っているでしょう」
「そうだな。その優しさに俺はつけこんでるんだ」
「ギュス……」
 言葉がまた途切れる。二人の間を風が吹き抜ける。夏の盛りはとうに去り、肌を冷やしていく風だ。
「さて、そろそろ戻るか」
 ギュスターヴがようやく木の上から降りてくる。最後に軽く弾みをつけて跳ぶと、乱れた衣服を整えるように手で払った。
「ギュス」
 レスリーは手伝おうとしたその手で彼の上着を手繰り寄せるように握る。ん? とギュスターヴが首を捻って振り返ると、彼女は彼の肩に顔を埋めるかのように近づいた。
「いなくなったら駄目よ。皆が——私が困るわ」
 レスリーの吐息がギュスターヴの肩にかかる。彼女の体温を感じながら、ギュスターヴはゆっくりと頷いた。
「……うん、わかってるよ。わかってるから、泣くな」
「泣いてないわよ」
 返ってきた言葉は虚勢か否か。頼りなく響いたその声に返事をするように、ギュスターヴはレスリーの頭をそっと撫でた。


First Written : 2024/05/11