面影

1247年。「兄弟再会」の後。
ギュスレス+ケルヴィンとフリン。


 

 昼を過ぎてしばらくたった頃、テルムの城で執務室の扉の少し前のところにフリンがいるのをレスリーは見つけた。彼は手持ち無沙汰にぼうっと立っているようだった。
「あ、レスリー」
 彼女が声をかけようとしたところ、フリンが先に彼女の存在に気づく。
「まだ終わってないの?」
 何かと理由をつけて先延ばしにしていた書類仕事を今日こそは終わらせろ、とケルヴィンがギュスターヴを引きずっていったのは何時間前だっただろう。昼食はとったはずだが、それ以外はほとんど篭もりっぱなしではないだろうか。フリンは肩を竦めた。
「ムートンさんは先に休憩しにいったんだけどね。ギュス様はまだだよ」
「そう。じゃあケルヴィンもまだ中にいるのね」
「かわろうかって言ったんだけど、ボクだと見張りにならないんだって」
「ふふっ、そうね」
 それは確かにフリンじゃ荷が重そうだった。しかし、ケルヴィンもそろそろ疲れがたまる頃だろう。少し様子を見た方がいいかもしれない。レスリーはフリンに目配せをすると彼は心得たように一歩下がって扉の前を彼女に譲った。
「レスリーです、少しよろしいでしょうか?」
「あぁ……入ってくれるか」
 案の定ケルヴィンの声には疲れが滲み出ている。レスリーが部屋に入ると、文書机に座って頬杖をつきながら反対の手に書類を持ったギュスターヴと、彼にぴったりと張り付くように横に立ったケルヴィンがいた。
「……まだかかりそうね」
 レスリーは書類の束をちらっと見て、その量に苦笑した。
「あー、レスリー助けてくれよぉー」
「情けない声をだすな。ここまでたまるまで放置するからいけないんだろ。これでもやれるとこはお前抜きでやってるんだ」
 フリンが言ってたようにムートン卿や他の書記官はもう部屋にはいなかったので、自然と三人とも気安い口調になる。
「ケルヴィン、かわるわ」
「それは助かる」
「ケルヴィンだけ? 俺も休憩させろよ」
「お前は少なくともこれが終わるまで駄目だ」
 口を尖らせるギュスターヴにケルヴィンがぴしゃりと言う。ケルヴィンは自分の椅子にかけていた上着を羽織ると、念を押すようにギュスターヴをじーっと見やったあと、部屋を出ていった。
「なぁ、レスリー……」
「駄目よ。ケルヴィンの話聞いてたでしょ」
 ギュスターヴが甘えた声を出すのを一蹴する。彼はぐへぇと蛙が潰れたような声を出して、机に突っ伏す。その様子にレスリーは思わず笑った。
「あとでお茶とお菓子を持ってきてあげるから、ね」
 彼女はケルヴィンが先程立っていた場所に移動する。ギュスターヴは、はぁーっと大きなため息をついたあと、しぶしぶ次の書類をぺらりと持ち上げた。ぶつぶつと読み上げては判を押していく。
 レスリーはしばらくそんな彼を眺めていたが、彼の髪がぱらりと落ちて書類に影をつくり、時折それを鬱陶しそうにかきあげるのに気づいた。いつからか伸ばしっぱなしになっていたギュスターヴの髪は肩より長くなっていた。彼はいつもそれを後ろに流したままにしていたが、下を向くと滑り落ちてくるのはさすがに邪魔そうだ。
 レスリーはふと思いつき、ギュスターヴの肩に手を置く。
「ギュス」
「ん?」
 一言名前を呼ぶとレスリーは彼の髪に手を差し入れた。指で梳くようにすると、意外にも指通りはよく、よく手入れされてるようである。彼の性格を考えると、きっと誰かに綺麗にしてもらってるのだろう──なんとなく面白くない気持ちになってしまうのを振り払ってレスリーはギュスターヴの髪を束ねた。ポケットから取り出したリボンでそれをひとつにまとめる。
「これでどうかしら」
 レスリーは出来栄えを確かめようとギュスターヴの正面へ回り込んだ。しげしげとそのまま見つめて何も言わない彼女にギュスターヴは怪訝そうな顔をする。
「なんだ?」
「うん……やっぱり兄弟なんだなって」
 彼のことをよく知る人からすれば可愛らしい桃色のリボンをつけた姿はいかにも笑みを誘うものであったが、黙って顔立ちを見ていればそれは彼の弟を連想させる。
「そんなに似てるか?」
 ギュスターヴは少し照れくさそうにリボンを手で探るように触る。
「ええ、よく似てるわ」
 ノール侯フィリップ。ギュスターヴを二十年も恨みつづけていた彼の弟。殺意まで抱いていた彼と再会し、和解とまでは行かないまでも言葉を交わす仲になれたことはギュスターヴにとってとても嬉しいことであったに違いない。
「あー、これも全部フィリップがやったらいいのになぁ」
「ノールのことだけでも大変ですもの。少しは弟君を見習ってはどう?」
「うむ……まぁ、そうだな」
 急に真顔になって頷き、ギュスターヴは次の文書に目を落とすのをレスリーは笑みを噛み殺して見守るのであった。


First Written : 2021/04/30