カンタールと離婚したばかりのケルマリ話。
2ページ目はおまけのケルヴィン側視点。
マリーは宮殿の窓から外の街を眺めていた。そこは、人が行き来する廻廊から少し奥まった場所にあり、静寂に包まれていた。忙しなく行き交う官吏達が彼女への挨拶の為にその歩みを止めてしまうこともなかった。
天井近くまで切り取られた大きな窓は繊細な色の玻璃で彩られていたものの、触れた指先にはしっかりとした質量を感じる。視界を遮ることはない、しかしそれでも彼女と世界を隔てるには十分な厚みをもっていた。
甲斐無い感傷であることを彼女も理解している。人気のないここなら、憂いが見咎めらることもない。こぼれ落ちそうになるため息が誰に聞こえるわけでもない。そう思ってこの場所を選んだというのに——
「……マリー様?」
マリーは肩を少し震わせて、その声を振り返った。彼女の兄の親友、ヤーデ伯家のケルヴィンをその瞳に認めて、マリーは微笑んでみせた。少しぎこちない笑みになってしまったかもしれない。ケルヴィンの眉がわずかに顰められた。
「いかがなされたのですか?」
「街を、……街を眺めていました」
マリーは視線を伏せて答えた。ハン・ノヴァに居を移してからというものの、ケルヴィンは何かとマリーのことを気にかけてくれていた。その心遣いは彼女には嬉しく、そして同時に胸を苦しくさせる。憐れみを向けられる己の立場を突きつけられているような気がして、ケルヴィンの眼差しを真っ直ぐに受け止めることができないでいた。
「ハン・ノヴァは、活気がある街ですね」
マリーは自分の声音に落胆する。いくら褒め言葉で取り繕っても、これでは到底はしゃいでいるようには聞こえまい。もう少しうまくやらねばと思うのに、憂鬱を誤魔化すことさえできない自分が情けなくなる。
「お兄様は一からこの街を作ったのですよね。己の力だけで、ここまで。敬服するばかりです」
ケルヴィンは、少し頷いたものの、口を挟むことはしなかった。その沈黙が、まるで見透かされているようでマリーの心を抉る。平静を装い、笑顔で会話をし、その場を離れる。彼のやわらかな眼差しが、それをひどく困難にさせる。
「私は……私は何もできませんでした」
一度、口から出てしまった弱音は止めようがなかった。顔に張り付けた笑みが、醜く歪んでいくのを感じる。
「オート侯妃など、名ばかり。私は何の役にもたちませんでした。それどころか……。蔑まれるかもしれませんが、お兄様が帰還した時、私の心は踊ったのです。ようやくお役目が果たせる、と。それなのに」
マリーは言葉を詰まらせた。堪えていたものが瞳から溢れるのを、慌てて手のひらで覆い隠す。
「マリー様……!」
ケルヴィンが息を飲み込む。衝動に突き動かされて思わずひろげた指先を、確かめるようにぐっと握りこんだ。
「どうか、貴女自身をそのように貶めないでください」
白藍色のハンカチをマリーに差し出し、ケルヴィンは囁くようにこいねがった。マリーがそれを受け取り、目元に添える。触れた箇所の色が濃く滲んでいくさまに、ケルヴィンの胸は締め付けられる。
「ここには、貴女を必要としている人がいます。少なくとも、私は」
宝玉を思わせる潤んだ青紫の瞳が少し驚いたように彼を見据えたとき、ケルヴィンは言葉を途切れさせて狼狽えた。あ、や、え、といった言葉にならない音を数回繰り返した後、「失礼します」と一言だけ発してケルヴィンは踵を返した。引き止める間もなく、マリーはその背中をどこかぼんやりと見送る。
ケルヴィンの言動に、マリーの頭は混乱していた。
憐憫の情を向けられているのだと思っていた。契りを破棄され、何の価値もなく戻ってきた彼女を皆が腫れ物に触るように哀れんでいるのだと。
ひとときだけ交わったケルヴィンの瞳は、彼自身が心に刃を突き立てられているかのように苦しそうだった。そのさらに奥に見えていた色は、あれは何だったのだろう。マリーが今まで見たことがない、それでいてどこか懐かしさが心を乱す。
——少なくとも、私は
確かに聞こえた声の真意は。マリーはその言葉の余韻に、ハンカチを強く握りしめた。