ケルヴィンに頼み事をするギュスターヴの話。
「フィニーには後継者が必要だ」
マリーが己のアニマを手放すかわりに産み落とした新しい命。その小さき手のひらにギュスターヴは指先で触れた。ようやく少し開くようになった目がぼんやりと彼を見返し、ふにゃりとやわらかな指がギュスターヴの武骨で固い指を握り込む。
傍らに立つケルヴィンは、眉間の皺を深くした。マリーが子を授かったとわかった際に一度された話だった。ケルヴィンは曖昧に流してきたが、どうやらこの男は本気らしい。
「お前は、本当に子を成す気はないのか」
だから彼女とも——と口にのぼった非難は、ギュスターヴが向けてきた重い視線で途切れる。ギュスターヴの瞳に射した影に、ケルヴィンはそれ以上の言葉を飲み込んだ。
「……出来損ないの血筋など不要だ」
ゆっくりと口を開いたギュスターヴは、それに、と自嘲の笑みを浮かべた。
「俺は臆病だ。自分以外の人間の責任をとる自信が無い」
「ギュスターヴ……」
ケルヴィンとて彼の苦悩を知らない訳では無かった。しかし、それを理由に彼が今要求していることには、どうしても物申さずには居られなかったのだ。
ギュスターヴは、もとよりフィニーを継ぐ気はなかった。しかし、正当な後継者となるはずのフィリップ二世は悲劇により命を落とし、ギュスターヴはその責に苛まれ続けている。そもそもギュスターヴがテルムに戻らなければ、フィニーは彼の腹違いの弟、ギュスターヴ十四世が国を治めていたことだろう。周りの思惑はどうあれ、ギュスターヴにしてみれば後継者争いとは名ばかりの、利己的な挙兵だった。かといってそう割り切って、王国の滅亡を受け入れることもできないのだ。
フィニー王家の末裔はもはやギュスターヴと、その妹であるマリーの子供達しか残されていない。長男チャールズはヤーデ伯爵位を継ぐ。そして生まれたばかりの次男には、フィニーを継いで欲しい。それがギュスターヴの願いだった。
フィニーを継ぐということは、王国の証のファイアブランドの儀式を行うことに他ならない。フィリップ二世はその最中に暗殺された。怒りに我を失った哀しき父親が炎のクヴェルにアニマを喰われ、ドラゴンへと姿を変えるのをケルヴィンも目のあたりにしたのだ。それだけの危険を負わせることになる、ということもギュスターヴは承知の上なのだろう。
それでいて、ケルヴィンに言うのだ。マリーの血筋なら皆が納得すると。
「全く、お前が言ってることは無茶苦茶だ」
ケルヴィンはため息をついた。その眉は、苦しげに震えた。
「わかってる。でもお前にしか頼めないんだ、ケルヴィン」
紫がかった青い瞳がじっとケルヴィンを真っ直ぐに見つめる。射抜かれるような力強さを持つのに、不安が見え隠れするアンバランスさに、ケルヴィンはしばし呼吸を忘れる。彼の視線から逃れるようにケルヴィンは俯き、そして深く息を吸った。
「お前は狡い奴だ。そう言われると私が断れないのを知っている」
「……うん」
ギュスターヴは神妙な顔つきのまま、彼の答えを辛抱強く待つ。ケルヴィンはさらに深く、息を吐いた。やれやれ、と小さくこぼす。その嘆息にギュスターヴが僅かに頬をゆるませたのが悔しく、そして同時に眉が下がりそうになるのを改めて引き締める。
「そうは言っても問題は山積みなのはわかっているな?」
ケルヴィンの指摘に、ギュスターヴは頷く。
「そうだな、ナ国や、メルシュマンの諸侯、オート侯、南方の勢力も……」
ギュスターヴはそこで、ふっと不敵に笑った。
「まぁ、なんとかなるだろう」
——いや、お前が『なんとかしてきた』のだ。お前がいなければ、どうにもならないんだ。
ケルヴィンは、目の前で列を組んで歩く兵士達を眺めた。彼らはヤーデへ向かっている。安堵した様子の兵達とは裏腹に、ケルヴィンは苦渋に満ちた表情を浮かべた。ギュスターヴの都、ハン・ノヴァをこのような形で離れることになる不甲斐なさに臍を噛む。
フィニー継承の件とて、事情を知るカンタールが離反した今となっては、進めることもままならない。なにひとつ解決するどころか、状況は悪くなるばかりだ。
「父上、どうかなさいましたか?」
気遣う声に、ケルヴィンは傍らに立つ青年に目を向けた。フィリップ三世——ケルヴィンとマリーの息子は、十四歳になっていた。母親譲りの優しい瞳から、その腰に下がった剣に目線をうつす。鞘に収まった剣が発するアニマを感じとりながら、ケルヴィンはゆるりと首を横にふった。
「いや、なんでもない」
情勢は限りなく悪い。
——それでも、頼られたら応えねばなるまい。
(全く、お前というやつは……)
ケルヴィンは瞼の裏にあの青い瞳を思い浮かべては深く息を吸った。
First Written : 2022/10/16