忘れじの詩 - 9/10

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 ケルヴィンの来訪からまたしばらくした後。
 昼食の準備ができた私はギュスターヴを呼ぼうと探して、家の裏にいる彼を見つけた。
 海が見渡せる丘でギュスターヴは鋼の短剣を手に素振りをしていた。彼が手に持っているのはベーリング家を通してファウエンハイムの鍛冶屋から取り寄せたものだ。ギュスターヴに渡したとき、親方は良い弟子をもったんだな、と彼は感慨深く短剣を眺めていた。
 フリンのナイフは居間に大切に飾ってある。ギュスターヴが時折手にとっては簡易的に手入れをしている。二揃いであったはずの片方は砦で落としたらしい。ダイクがそれを焼け跡で拾ったことを私は知っていた。
「ギュス、そろそろお昼にしましょう」
 私が声をかけるとギュスターヴは剣を腰に下げた鞘におさめてから額の汗を拭った。
「そろそろ実践も経験したいもんだな」
 ぽろっとこぼす彼に私は目を丸くした。
「キノコの洞窟ぐらいはいけるだろう」
「何を言っているの。冗談じゃないわよ」
 ギュスターヴは私を振り返って面白そうに笑った。彼の真意を測りかねて、私の眉間に皺が寄る。
「全く。あなたはいくつになってもずっと子供のままみたい」
「そんなことないさ。昔ほどの無茶はしない」
「そう願いたいものよ」
 彼のすぐ横に立つと、海を渡る船が見えた。ヤーデから出港した船だろうか。大きく帆をひろげてゆっくり進む船を私達は見つめた。
「船で世界を巡るというのも楽しそうだ。バットも元気にやってるかな。……海賊になる人生もありかもな」
 また思いつきのように彼が言う。
 ワイドにいた頃に、あるきっかけでギュスターヴが海賊船に乗ったことがあった。そのときに出会った同じ年頃の青年が確かバットという名前だったはず。もう一人の俺みたいだった、とギュスターヴが評していたのを思い出す。ギュスターヴは自分の血の宿命に導かれるまま東大陸に行くことを決めたけれど、もしそうしなかったとしたら、彼は自由なままでいられたのだろうか。
「隻腕の海賊? また大層な肩書ね」
 私はギュスターヴの顔をちらりと見上げてから、海を向いたままの彼の身体に寄りかかった。
「でもだめよ。私を置いていってはだめ。どうしてもって言うなら私もついていくから」
 わがままを口にする。子供っぽく、でも若い頃には素直にそう言えなかったようなわがままを。
 触れた左側が彼の苦笑いで揺れる。
「レスリーを海賊にするわけにはいかないな」
 ぐらりとギュスターヴの身体が動いて、彼の右腕が私の肩に回される。ごつごつとして硬い彼の手を私は自分の右手で包んだ。もう若くはない、歳を重ねた手。もう離さないと決めた手。
「どこへだって行くのよ。あなたを愛してるのだから」
「レスリー、俺もだよ」
 ギュスターヴの唇が頬に触れる。小さく耳元で囁かれる言葉にくすぐったくなる。少しずつ、彼はそういうことを言ってくるようになった。遠い昔からずっとお互い知っていたのに決して口には出さなかった感情の数々を、ゆっくり時間をかけて共有していく。
「昼食にしようか」
「そうね」
 海を背にして私達は家の方へと歩いた。誰にも知られないようにひっそりと建つ小さな我が家へと。手を繋いで、帰るのだ。

 

FIN.